東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第6章 大型研究計画の推進

6-1 日本学術振興会関連の研究計画

東南アジア海域はサンゴ礁,マングローブをはじめとする多様な沿岸生態系のほか,水深4000mを超える半閉鎖的な海盆を含み,世界の海洋の中で最も種多様性が高いことで知られる.また豊かで多様な水産資源の供給源として,約6億人の人口を擁する沿岸諸国の経済や国民生活にとっても重要な場である.一方この海域では,陸域からの汚染物質の流入負荷や漁業・リゾート開発等の人間活動による深刻な沿岸環境の悪化が進んでいる.さらに東南アジア諸国周辺域では,局所的な環境変化が地球規模での海洋や気候の変化と密接に繋がっていることも強く認識されてきた.海洋環境の実体の把握およびその問題解決には,実効性の高い国際的な共同研究が必要不可欠である.科学技術・学術審議会(海洋開発分科会)においても「海洋に関する問題を解決するためには,国際貢献と国益の確保の均衡を図りながら,国際的な協力の枠組み整備,国際的なプロジェクトへの参加,開発途上国への支援等の国際協力を進めることが重要である」と答申されており,我が国の海洋学分野の優位性を国際的にも生かすべきである.海洋研究所・大気海洋研究所はこれまで日本学術振興会交流事業の拠点として2国間(1988~1999年)および多国間交流(2001~2010年)による連携研究の推進に貢献してきた.

(1)拠点大学交流事業「沿岸海洋学」

「沿岸海洋学」(代表:小池勲夫2001~2004年度,寺崎誠2005~2006年度,西田睦2007~2010年度)では,日本が中心となってアジア5カ国(インドネシア,マレーシア,フィリピン,タイ,ベトナム)との多国間共同研究を実施し,この海域における物質循環,有害藻類,生物多様性,汚染物質の現状と動態について多くの成果を得た.本事業では次の4課題を実施した.(1)東アジア・東南アジア沿岸・縁辺海の物質輸送過程に関する研究,(2)海産有害微細藻類の生物生態学,(3)東アジア・東南アジアの沿岸域における生物多様性の研究,(4)有害化学物質による沿岸環境の汚染と生態影響に関する研究.特に課題(3)は,さらに4つのサブグループ(1魚類,2底生動物,3海藻・海草類,4プランクトン)から構成された.協力国の24研究機関(インドネシア4,マレーシア7,フィリピン5,タイ6,ベトナム2)と日本の23研究機関から総数326人(国外222,日本104)が参加した.期間中に合同セミナー5回,コーディネータ会議11回,ワークショップ88回を開催した.ワークショップでは研究発表,最新の情報交換,研究計画立案を行うとともに,若手研究者を対象に基礎的なトレーニングや分析方法の標準化も実施した.本プログラムの活動を通じて,これらの国々から優秀な若手研究者が数多く育ってきた.また約1,300件の原著論文(査読付き1,070,プロシーディングス228),139件の著書(分担執筆を含む)および30件の報告書・記事等を公表した.特に魚類のフィールドガイド,海草類のフィールドガイド,有害化学物質の化学分析法マニュアルは,アジア諸国の研究者や関連機関から高い評価を受けた.本研究活動を通じて得られた成果をもとに,これまで培ってきたネットワークを活かして,アジア諸国の研究者や研究機関と連携して沿岸海洋学に関する重要な研究に取り組んでいくことが極めて重要である.このシステムを活かして研究を展開することによって,アジア海域,ひいては世界の沿岸海洋における環境保全にいっそう貢献する新しい展開が期待される.

2008年にマレーシアのコタキナバルで開催された第7回政府間海洋学委員会(IOC)西太平洋地域(WESTPAC)国際シンポジウムにおいては,日本が実施してきた本事業に対する評価が高く,2011年度以降の同事業の更なる充実と継続を望む声が数多く聞かれた.また,2007に海洋研究所がバンコクで主催した国際会議「The ASEAN International Conference “Conservation on the Coastal Environment”」では,ASEANの10カ国が参加し,EU経済協力機構や北アメリカ経済協力会議(NAFTA)に相当するアジア経済協力機構の構想について議論が行われる中で,本事業の成果が高く評価され,これを生かす機能的な国際ネットワークの構築と発展が,アジアの発展に不可欠との共通の認識が得られた.なお,2011年に実施された日本学術振興会による事後評価でも,本事業は極めて高い評価を得た.

(2)アジア研究教育拠点事業「東南アジアにおける沿岸海洋学の研究教育ネットワーク構築」

上記事業の終了を受けて,2011年に5カ年事業「アジア研究教育拠点事業―東南アジアにおける沿岸海洋学の研究教育ネットワーク構築(代表者:西田周平教授,2011~2015年)」が採択された.本事業では,海洋研究所が日本学術振興会の支援のもとに実施してきた,東南アジア諸国の研究機関ならびに研究者との国際共同研究の実績をもとに,我々が構築してきたネットワークを沿岸の海洋学にとどまらず,アジア地域,そして地球規模の海洋科学として進展させ,国際的な枠組みへも貢献するため,さらに強固な研究者ネットワークを構築することを目指し,以下の活動を進めている.

  • (1) 生物多様性に関する知見の整備・拡充:既存の試料の再精査,特定海域の共同研究,各生物群の専門家による協働を通じて参加各国の沿岸域における生物多様性に関する知見が飛躍的に拡充される.プランクトン,ベントス,海藻・海草,魚類の現存種数,特定海域における分布,種組成,多様性等に関する定量的データが拡充されるほか,多くの未記載種の発見も期待される.
  • (2) 特定海域・生態系の総合的評価:生態系の基礎的観測・計測手法に加え,リモートセンシング,ハビタットマッピング,汚染物質高精度分析等の最先端手法を駆使した特定海域におけるサンゴ礁,藻場,内湾等の学際的調査により,これら生態系の現状を評価するための知見が得られる.さらに生態系の各構成要素(物理・化学的要素,主要生物群,汚染物質など)の分布・動態を比較・統合することにより,生態系変動の原因となる人為的負荷や気候変動の動因を特定できるものと期待される.
  • (3) 沿岸海洋に関する総合的データベースの構築:現在海洋における多様な事象について非常に多くのデータベースが整備・公開されているが,その多くは物理・化学的観測や生物多様性に関する個別のものである.多国間協力事業ではこれまで各研究領域グループで豊富かつ有用な知見が得られているが,その多くは個別の科学論文として公表されているものの成果の全貌が把握しにくく,またグループ相互の情報の統合・融合も十分ではない.本事業では多様なデータセットを有機的にリンクさせたデータベースを構築する.物理過程,有害生物,生物多様性,汚染物質に関するデータを整理し,マッピング機能を備えた相互に参照可能なデータベースを構築することにより,アジア海域全体の海洋情報を即座に参照できるとともに,要因相互の関係についても有用な情報を抽出することが可能となる.このようなデータベースの構築により,アジア海域に特化した,世界に誇れる質の高い情報の発信が可能となる.