東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

巻頭言

大気海洋研究所創立50年を迎えて

新野 宏

[東京大学大気海洋研究所 所長]

 大気海洋研究所は,「海洋に関する基礎研究」を行う海洋研究所(1962年4月1日設立)と「気候モデルを用いた気候システムの研究」を行う気候システム研究センター(1991年4月1日設立)の2つの全国共同利用組織が統合して2010年4月1日に発足したが,本年(2012年)は前者の設立から数えて記念すべき50年目に当たる.本所とその前身の2つの組織の設立と発展に,長年にわたって多大なご支援・ご尽力を賜った諸先輩方,国内外の大気海洋科学研究者の皆様,本学および文部科学省の皆様に深く感謝申し上げる次第である.

 この50年間に科学技術は大きな発展を遂げてきた.中でも全球的な取り組みが不可欠である大気海洋科学は,「地球を小さくする」通信や交通手段,人工衛星やアルゴフロートなどの新しい観測機器,遺伝子解析技術などの実験手法,そして高度な数値シミュレーションやデータ同化を可能とする超高速電子計算機等の開発・発展により,50年前には想像だにしなかった目覚ましい進歩を遂げてきた.しかしながら,地球の表面積の7割を占め,最深部では1万メートルを超える海洋とそこに育まれる生物には,現在も探査が及ばぬ未知の領域や未解明の謎が多く残されている.また,地球環境の過去・現在・未来を理解する上で不可欠な大気・海洋・固体地球・生物間の複雑な相互作用にも私たちの理解が未だ及ばないプロセスが数多く残されている.

 海洋研究所は中野キャンパスで48年間にわたって活動を行ってきたが,建物の狭隘化と研究施設の老朽化が進み,2010年3月に柏キャンパスに移転して,懸案であった建物・施設の刷新を行うことができた.一方,気候システム研究センターは2005年3月に柏キャンパスに移転し,駒場IIキャンパス時代から続く19年間にわたる活動を展開していた.両組織は,海洋研究所が移転を終えた翌月の2010年4月に,上述の未知の課題に以前にも増して力強く取り組むための最善の選択として自主的に統合し,本所を設立した.ここに,観測・実験と数値シミュレーションの有機的連携により,大気・海洋およびそこに育まれる生物の複雑なメカニズムと,地球の誕生から現在に至るそれらの進化や変動のドラマを解き明かし,人類と地球環境の未来を考えるための科学的基盤の確立を目指す総合的な大気海洋科学の研究拠点が誕生した.なお,本所は発足と同時に,文部科学省から,新たに始まる共同利用・共同研究拠点制度の下で大気海洋研究拠点の認定を受け,従来からの全国共同利用を一層充実させるとともに,統合のシナジー効果を発揮するために地球表層圏変動研究センターを設置するなどの改組を行った.

 この50年を振り返ると,時代とともに,研究活動は社会の変化の影響をより強く受けるようになってきたように思う.中でも,最近の20年に本所の活動に大きな影響を与えた要因として2点挙げることができる.第1は,冷戦時代の終結とともに,地球温暖化に代表される地球環境問題が国際的に重要な課題の1つとなってきたことである.1991年の気候システム研究センターの設立は,我が国でもこの課題に積極的に取り組む必要性が強く認識されたためであった.第2は,経済的な問題と関わっている.いわゆるバブルの崩壊後,経済成長は伸び悩み,様々な行政改革が行われるようになった.2004年には,国立大学が法人化され,特殊法人の見直しも行われた.これに伴い,本所が全国共同利用に供してきた研究船「白鳳丸」と「淡青丸」が海洋研究開発機構に移管され,「学術研究船」として運航されることとなった.両船の共同利用研究の募集・審査・採択については,引き続き本所が,全国の海洋科学研究者で構成される本所研究船共同利用運営委員会の決定に基づき,担当しており,採択された研究航海の支援体制も強化してきている.船齢30年に達した淡青丸は,現在後継船を建造中であり,2013年春には進水式が行われる予定である.

 大気海洋研究所の発足から約1年を経た2011年3月11日には,東日本大震災が発生した.岩手県大槌町の附属国際沿岸海洋研究センターは,巨大な津波に襲われ,3階建て研究棟の最上階まで海水に浸かった.幸いにもセンターの教職員・学生や共同利用で滞在中の研究者に人的被害はなかったが,3隻の調査船を含むすべての研究施設は損壊・流失した.本所では,いち早く同センターの復旧を決め,濱田純一総長をはじめとする本学本部と文部科学省の支援を得て,可能な共同利用研究から再開するとともに,研究棟の再建等,復旧への努力を進めている.

 今回の地震と津波は,われわれ人類の地球に対する理解が未だ不十分なことを明確に示した.われわれに与えられた使命は,過去と現在の大気海洋の営みとこれに関わる基礎的な過程を少しでも良く理解し,人類と地球環境の未来を考えるための科学的基盤を提示すること,また,津波で破壊された生態系の実態と回復過程など,震災で新たに生じた研究課題にも積極的に取り組み,社会と科学に貢献することである.当所では,従来から,数多くの国際プロジェクトを主導するほか,気候変動に関する政府間パネル(IPCC)や政府間海洋学委員会(IOC)などの国際活動に科学的貢献を行ってきたが,これらの使命を達成するためには,従来にも増して,共同利用・共同研究を通じた国内外の研究者との連携が不可欠となっている.関係各位のご支援・ご助力を願う次第である.また,大学の附置研究所として,未来の大気海洋科学を担う研究者や海洋・大気・地球生命圏に関する豊かな科学的知識を備えた人材の育成も重要な使命である.50周年を機に,所員一同気持ちを新たにして,これらの使命に全力で取り組んでいく所存である.

 最後になったが,本書の刊行は,ご寄稿・ご執筆くださった多くの方々,本書の企画・編集を担当いただいた50周年記念事業準備委員会と広報室・事務部の方々のご尽力無しには実現しなかった.深く感謝申し上げる.