東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第4章 大気海洋研究所の組織と活動

4-3 東日本大震災への対応と復興

4-3-4 復興に向けた研究活動

東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波は,三陸・常磐沿岸の海洋生態系やそこに生息する生物群集に対して大きな撹乱をもたらした.地震や津波が海洋生態系に及ぼした直接的影響と,それによって生態系が今後どのように変化していくのかを明らかにすることは,崩壊した沿岸漁業を復興し,さらにこれまで以上に発展させる方策を構築するために不可欠な過程である.また同時に,これほど大規模な沿岸生態系の撹乱は現代科学が初めて目の当たりにする現象であり,この大撹乱現象に対する海洋生態系の応答機序を解明することは,我々日本の海洋研究者に課せられた責務である.とりわけ被災地の大槌に国際沿岸海洋研究センター(以下,沿岸センター)を有する大気海洋研究所は,その中心となって研究に取り組まなければならない.

沿岸センターに所属する教職員はもちろんのこと,本所には大槌湾をはじめとする東北の沿岸で津波以前にも研究を行ってきた教職員が数多くいる.これらの教職員を中心として,震災直後に「大槌湾を中心とした三陸沿岸復興研究」という所内プロジェクトが発足し,様々な角度から地震や津波が海洋生態系に及ぼした影響を明らかにするための研究が行われてきた.また,現在も震災後の生態系や流動環境の変化を追跡するための研究が実施されている.

沿岸センターの所有していた3隻の研究船は津波ですべて流失してしまった.そのため大槌湾では,新たに建造した研究船「グランメーユ」が使用可能になった2011年8月末までの間,大槌町赤浜地区で津波による被災を免れた漁船の1つである妙法丸(船長:阿部力氏)の協力により,各種の調査・研究が行われた.

震災後2カ月あまり経った5月からは,ほぼ2カ月に1度の頻度で,大槌湾内の栄養塩類や動植物プランクトンの調査が開始された.6月以降にはほぼ毎月,サイドスキャンソナー(超音波によって海底の構造物を調べる装置)や水中カメラを用いた大槌湾および隣接する船越湾の海草藻場や岩礁藻場の状況調査が行われている.また7月以降には,大槌湾湾口部の岩礁藻場において,2~3カ月に1度の頻度でスキューバ潜水による調査が実施され,エゾアワビやキタムラサキウニなどの重要な漁獲対象種を含む底生生物に対する津波の影響やその後の変化が調べられている.同様の調査は,より震源に近い牡鹿半島沿岸の岩礁藻場などにおいても6月から実施されている.大槌湾に流入する鵜住居川や大船渡湾に流入する盛川では,震災後に遡上してきたアユの体長や孵化日,成長履歴などが調べられている.また,宮古湾では,7月以降に湾内に生息するニシン仔稚魚の生息調査が再開されている.9月には船越湾の船越大島でオオミズナギドリ生態調査が例年どおり実施され,加速度データロガー,ジオロケータ,ビデオカメラなどの動物搭載型記録計を用いた行動計測がなされた.

これらは,大槌湾を中心とする東北沿岸域で本所が震災後に開始した生態系研究の一部であるが,いずれも同様の調査,研究が震災以前にも実施されていたものである.地震・津波前後のデータの比較によって,地震や津波で生態系にどのような影響が及んだのかを具体的に明らかにすることができる.また,今後も調査,観測を継続することによって,撹乱を受けた生態系や生物群集,個体群がこれからどのように回復,あるいは変化していくかを追跡していくことが可能になる.

東北の沿岸域では,本所以外にも多くの研究機関や研究者によって,様々な分野,視点からの震災の影響に関する調査,研究が実施されている.沿岸センターでは,長年にわたって全国共同利用研究を推進し,東北沿岸を研究フィールドとする研究者間のネットワークを構築してきた.震災後の8月には,2011年度共同利用の追加公募が行われた.生態系や海底地形に対する大規模な撹乱の実態を解明していくため,速やかにかつ継続的な研究を実施するためである.新しい研究船グランメーユやかろうじて残された沿岸センターの施設を活用した,所外研究者による公募外の研究活動も例年に増して盛んである.全国の多くの研究者が,大槌湾を中心とした東北沿岸域で津波による影響と回復過程に関する地道な研究を続けている.

津波からの復興事業として開始された東北マリンサイエンス拠点事業をはじめ,今後多くの研究予算がこの海域に投入されることになろう.淡青丸の後継船として建造される新たな学術研究船は,大槌港を船籍港とし,共同利用・共同研究の枠組みの中に復興研究の枠を設け,復興研究に重点的に用いられる予定となっている.2012年度には,全航海日数の4割強を占める震災対応・協力航海が計画されている.さらに沿岸センターには,地震・津波による撹乱を受けた海洋生態系の二次遷移過程と資源生物の生産機能の復元過程の解明を目的とした「生物資源再生分野」が2012年4月に新設される予定である[➡3―2―2].東北の沿岸漁業や地域社会の復興につながる海洋研究を効率的かつ迅速に実施するためには,上記の震災復興を目的とした新たな研究環境を最大限に生かしていくとともに,共同利用研究で構築された研究者のネットワークを基礎に,国内外からさらに多くの様々な分野の研究者の力を結集し,沿岸センターが核となって学際的かつ先端的研究を進めていく必要がある.