海の変化に敏感なサケ稚魚の腸内フローラ 新たな気候変動リスク
2025年8月25日
研究成果
発表者
Subrata Kumar Ghosh 海洋生態系科学部門 大学院生(研究当時)
現チッタゴン獣医・動物科学大学准教授
濵﨑 恒二 海洋生態系科学部門 教授
Marty Wong 海洋生命科学部門 助教
兵藤 晋 海洋生命科学部門 教授
成果概要
東京大学大気海洋研究所の濵﨑教授とGhosh博士らの研究グループは、サケ稚魚の腸内フローラ(注1)が餌の摂取開始および海水環境への移行に応じて大きく変化することを明らかにしました。従来、稚魚期の腸内フローラ形成における環境要因の影響は不明確でしたが、本研究では孵化から90日間の飼育試験により、環境由来の微生物が腸内に選択的に定着する過程を経時的に調べました。その結果、サケ稚魚の腸内フローラは、餌の摂取と海水への移行によって大きく再構築され、気候変動に伴う環境変化に対して高い感受性を示すことが示唆されました。本成果は、気候変動による環境変化がサケの生残に与える影響評価や、プロバイオティクス応用による稚魚育成技術の高度化に貢献することが期待されます。
発表内容
研究の背景
地球温暖化の影響により、海水温の上昇や海洋熱波の頻発が世界各地で報告されており、日本近海でも沿岸水温の高温化が進んでいます。こうした環境変化は、水産資源に深刻な影響を与えつつあり、特に回遊魚であるシロザケ(Oncorhynchus keta)(注2)の稚魚において、河川から海洋への移行直後の生残率が近年急激に低下している可能性が指摘されています。その原因のひとつとして、外的環境の変化に対する生理的・免疫的応答の失調が疑われます。
魚類の健康や発育において重要な役割を果たすのが、腸内に定着する微生物群(腸内フローラ)です。腸内フローラは栄養吸収、免疫調節、病原体の排除などに関与することが知られていますが、これまでサケ類における腸内フローラ研究は限られており、とくに餌を摂取し始める初期段階から海洋環境へと移行する過程で、腸内フローラがどのように変化するのかについては、系統的な研究がほとんど行われていませんでした。本研究では、この重要なライフステージにおける腸内フローラの動態を明らかにし、気候変動に対する回遊魚の脆弱性と適応の仕組みを理解することを目的としました。
研究内容
本研究では、東京大学大気海洋研究所の飼育実験施設において、シロザケの稚魚を孵化直後から90日間にわたり淡水および海水環境で飼育し、成長段階に応じた13の時点で個体を採取しました。餌の摂取開始前後、および淡水から海水への移行期を含む広範な時系列観察を行い、腸内フローラの構成変化を高解像度に追跡しました(図1)。
図1. シロザケと海洋微生物(右上)
腸内に定着する微生物叢の変化を明らかにするため、個体ごとに腸内容物を無菌的に回収し、あわせて飼育水および餌の微生物群集も同様に採取しました。これらの試料に対して、16S rRNA遺伝子のV4領域を標的としたアンプリコンシーケンスを行い、QIIME2やRなどの生物情報解析ツールを用いて多様性解析・群集構造解析・統計解析を実施しました。
解析の結果、孵化後35日目に餌を摂取し始めた時点で腸内フローラは急速に安定化し、Bartonella属やEnterococcus属といった細菌が高頻度で定着するようになりました(図2)。これらの細菌は餌にも含まれていましたが、腸内フローラの構成は餌中のフローラとは明確に異なっており、魚体による選択的なフィルタリング機構が働いていることが示唆されました。さらに36日目以降、稚魚を海水環境へと移行させると、腸内フローラは劇的に変化し、Colwellia属やAliivibrio属といった海洋起源の細菌が急速に増加しました。特にAliivibrio属は海水移行後に急激に優占するようになり、腸内環境の海水対応型への再構築が進んでいることが示されました。一方で、餌や飼育水と腸内フローラの間に共有されるASV(アンプリコンシーケンスバリアント)は全体の5〜20%程度にとどまり、多くの腸内微生物種が魚体特異的に保持されていることが分かりました。BartonellaやEnterococcus、Acinetobacterなど一部の細菌は淡水・海水いずれの環境でも安定して腸内に存在し、「コアマイクロバイオーム」として宿主と共生している可能性が高いことも明らかとなりました。
図2. 卵から孵化後90日までのサケ稚魚腸内フローラの変化
社会的意義・今後の予定
本研究により、サケ稚魚における腸内フローラは、餌や水環境の変化に対して非常にダイナミックに応答しつつも、選択的な微生物群が維持されるという、宿主と微生物の協調的な構築過程が存在することが初めて明らかとなりました。この知見は、気候変動がもたらす海水温の上昇や沿岸微生物群集の変化が、魚類の腸内環境に影響を及ぼし、結果として生残率や疾病感受性に影響を与える可能性があることを示唆しています(図3)。特に、近年放流されたサケの回帰率が著しく低下している状況を鑑みると、腸内フローラの健全性は、資源回復や種苗生産における重要な管理指標となると考えられます。
図3. サケ稚魚腸内フローラへの気候変動による影響が、生残率の低下をもたらすシナリオ
今後は、本研究で明らかとなった“コアマイクロバイオーム”の機能解析を進めるとともに、腸内環境を整えるプロバイオティクスやプレバイオティクスの開発への応用展開を予定しています。気候変動に強い稚魚を育成するためのマイクロバイオーム工学や、選択的な微生物介入による海洋養殖の高度化に向けた実装研究が期待されます。
発表雑誌
雑誌名:Current Research in Microbial Sciences(2025年7月30日)
論文タイトル:Shifting seas and first feeds: gut microbiota dynamics in juvenile chum salmon (Oncorhynchus keta) and their climate vulnerability
著者:Ghosh, S. K., Wong, M. K. S., Hyodo, S., & Hamasaki, K.
DOI番号:10.1016/j.crmicr.2025.100452
アブストラクトURL:https://doi.org/10.1016/j.crmicr.2025.100452
用語解説
- (注1)腸内フローラ
- 人や動物の消化管内に生息する多種多様な微生物の集まり。「腸内微生物叢」あるいは「腸内細菌叢」「腸内マイクロバイオーム」とも呼ばれる。
- (注2)シロザケ(Onchorhynchus keta)
- いわゆる「サケ」。秋に北海道や東北地方の河川を遡上し産卵する。孵化後は海に出て、北太平洋を回遊しながら成長し、成熟すると母川に回帰する。
問い合わせ先
濵﨑 恒二(はまさき こうじ)
海洋生態系科学部門 教授
hamasaki◎aori.u-tokyo.ac.jp
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