ゲノム解析が明らかにした、南西諸島のサンゴの複雑な集団構造
2022年9月16日
発表者
土屋 考人(東京大学 大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程)
鈴木 豪(水産研究・教育機構 水産技術研究所 主任研究員)
佐藤 矩行(沖縄科学技術大学院大学 マリンゲノミックスユニット 教授)
新里 宙也(東京大学 大気海洋研究所 海洋生命科学部門 准教授)
発表のポイント
◆南西諸島で広く見られる造礁サンゴ、コユビミドリイシ300個体以上の全ゲノムを解読し、南西諸島全域における詳細な遺伝的集団構造を解明しました。
◆地理的に近い地点のみで構成される集団に加え、1000km以上離れた地点間での遺伝的交流の可能性など、複雑なサンゴの集団構造が南西諸島で確認されました。黒潮に加え、局所的な海流環境が、その成立と維持に強い影響を与えてきた可能性を明らかにしました。
◆大規模かつ網羅的なゲノム解析で初めて明らかになった、サンゴの予想外の複雑な集団構造の発見は、南西諸島の効果的なサンゴ保全策の実現に大きく貢献する知見になると期待されます。
発表概要
南西諸島の造礁サンゴ(以下サンゴ)は近年の環境変動によって減少傾向にあり、保全・回復が急務となっています。サンゴは幼生段階に海流に乗ることで生息場所を広げる(分散)するので、島嶼間でサンゴの遺伝的交流があるのか、どの方向に分散しているのか、などの正確な情報は、南西諸島における効果的なサンゴの保全策を考える上で重要となります。
以上のような背景から、東京大学大気海洋研究所と水産技術研究所、沖縄科学技術大学院大学の研究グループは、南西諸島における代表的なサンゴ種で、全ゲノム(注1)が解読されているコユビミドリイシに注目し、ゲノム全体から特定した膨大な一塩基多型(SNP、注2)情報を解析し、南西諸島全域における詳細な遺伝的な集団構造や、分散の方向性について調べました。
南西諸島の近海を南から北へと流れる黒潮海流の影響により、サンゴは南西諸島全域に分散し、全て遺伝的に均一な集団である可能性が示唆されていました。本研究の全ゲノムを使用した詳細な解析で、南西諸島のコユビミドリイシは、1000km以上離れた南端と北端で遺伝的交流を行っているグループと、地理的に近い地点で維持されているグループが混在する、複雑な遺伝的集団構造を持つことが明らかになりました。さらに地点間での分散の方向性について調べた結果、南から北へと流れる黒潮の影響と考えられる北方向の分散が多く起こる一方で、一部地点では南方向への分散も確認されました。世界最大級の流速を誇る黒潮に加え、地点ごとの局所的な海流環境の違いが生み出す複雑な分散ネットワークが、南西諸島でのコユビミドリイシの複雑な集団構造の成立や維持に影響を与えている可能性が高いことを明らかにしました。これまで見過ごされたサンゴの遺伝的集団構造や分散ネットワークの複雑性を明らかにした本研究は、南西諸島における効果的なサンゴ保護策を考える上で、大規模かつ網羅的なゲノム解析が有効であることを示しています。
発表内容
熱帯から亜熱帯に見られるサンゴ礁は、刺胞動物である造礁サンゴの骨格が積み重なり、形成されています。その複雑な構造により、サンゴ礁は全海洋生物種の約30%に生息場所を提供し、最も生物多様性が高い海洋環境を築いています。日本では、沖縄県から鹿児島県南部の種子島までを含む南西諸島に豊かなサンゴ礁が広がり、生物多様性の“ホットスポット”と位置付けられています。しかし、近年では夏季の異常高水温が引き起こす大規模白化現象など、サンゴが大量に死滅する事例が多く報告されており、サンゴ礁の保全や回復が急務となっています。サンゴは海底に固着して生息していますが、生まれたばかりの幼生は海中を漂い、海流に乗って遠くへと移動(分散)することができます。このような分散のプロセスは、サンゴの生息場所の拡大や、サンゴが死滅した海域への新しい個体の供給、地球温暖化に伴って生息可能になりつつある温帯域への進出に、大きな役割を果たすと考えられます。南西諸島全域のサンゴ礁を効果的に保全するためには、南西諸島の地点間でサンゴの分散がどの程度起こるのか、地点ごとにサンゴ集団がどのように維持されてきたか、などの情報が不可欠です。
東京大学大気海洋研究所と水産技術研究所、沖縄科学技術大学院大学の研究グループは、南西諸島に広く生息するサンゴ種の1つ、コユビミイドリイシ (Acropora digitifera)を対象に、南西諸島全域の22地点から採捕された300個体以上の全ゲノムを解読し、1個体あたり400万個もの膨大なSNP情報を取得し、ゲノム解析を行いました(図1)。これまでは南西諸島の近海を南から北へと流れる黒潮海流の影響により、サンゴは南西諸島全域に広く分散し、全て遺伝的に均一な集団である可能性が示唆されていましたが、南西諸島のコユビミドリイシは、複数の遺伝的なグループに分かれました(図2)。同じグループに含まれる地点間では、双方向の分散など、遺伝的な交流が頻繁に行われていると考えられます。これらのグループは主に地理的に近い地点で構成されますが、一つのグループ(図2、グループ1)は、南西諸島の南端に近い西表島の2地点と最北端の種子島や奄美大島という、1,000km以上離れた地点由来の個体で構成されていました。このことから、南西諸島のコユビミドリイシは「南端と北端で交流しているグループ」と、「地理的に近い地点で維持されているグループ」が混在する、複雑な遺伝的集団構造を持つことが明らかになりました。
1,000km以上離れた地点が同じ遺伝的グループに属するということは、これらの地点間で個体の分散が起きている可能性を示しています。南西諸島全域で、コユビミドリイシの分散はどの方向に起こっているのでしょうか。シミュレーションや統計値に基づいて地点間の分散の方向を推定した結果、グループ1に属する地点(西表島の一部と奄美大島、種子島)を含む多くの地点間で、北方向への分散が起こっていることが示されました(図3)。このことから、南端から北端への1,000km以上の長距離分散を含む、南西諸島でのコユビミドリイシの分散に、南から北へと流れる黒潮が大きく寄与していると考えられます。一方で、一部地点においては南方向や、同じ地域内での分散も活発に起きていることも確認され、黒潮反流(注3)など、南方向の海流も本種の分散に重要であることが示唆されました(図3)。これらの結果から、南西諸島のコユビミドリイシ集団は、地点ごとの局所的な海流環境の違いにより、複雑な分散ネットワークを形成していることが考えられます。
以上のように、黒潮や局所的な海流環境が、南西諸島でのコユビミドリイシの集団の維持や分散において大きな影響を及ぼしていることが示唆されました。今回の発見は、南西諸島全域を対象にした調査と、ゲノム全体から特定した膨大なSNP情報を解析することで、初めて明らかになりました。大規模かつ網羅的な解析を行うことで、これまで見過ごされたサンゴの遺伝的集団構造や分散ネットワークの複雑性を明らかにした本研究は、南西諸島のサンゴ礁保全に重要な知見を提供するだけでなく、世界中の島嶼地域(注4)の海洋生物の保全においても大きく貢献することが期待されます。
発表雑誌
雑誌名:「Molecular Ecology」(2022年9月9日付)
論文タイトル:Genomic analysis of a reef-building coral, Acropora digitifera, reveals complex population structure and a migration network in the Nansei Islands, Japan
著者:Kojin Tsuchiya, Yuna Zayasu, Yuichi Nakajima, Nana Arakaki, Go Suzuki, Noriyuki Satoh and Chuya Shinzato
DOI番号:https://doi.org/10.1111/mec.16665
問い合わせ先
東京大学大気海洋研究所 海洋生命科学部門
准教授 新里 宙也(しんざと ちゅうや)
E-mail:c.shinzato◎aori.u-tokyo.ac.jp ※「◎」は「@」に変換してください
用語解説
- 注1:ゲノム
- その生物が持つ全ての遺伝情報であり、生き物の命の設計図とも形容される。
- 注2:SNP
- 集団内に一定以上の頻度で見られる、ゲノム中の一塩基の変異。一個体のゲノムには膨大な数のSNPが存在するため、個体や地点間で遺伝的な特徴を比較する際の目印として用いることができる。
- 注3:黒潮反流
- 北〜北東方向に流れる黒潮海流に対して、その再循環流として南〜南西方向に流れる海流。
- 注4:島嶼地域
- 複数の島々で構成される地域。
添付資料
図1 本研究で対象としたコユビミドリイシ(左上)及び対象種を採取した地点。各地点の異なる色・形のシンボルは、図2aの散布図と対応する。
図2 南西諸島のコユビミドリイシの複雑な遺伝的集団構造 (a) 2次元で表示した南西諸島全域のコユビミドリイシ個体間のゲノム上のSNP情報の違い。各点が1個体を表しており、それぞれの色や形は、図1の地点と対応している。遺伝的なグループ1〜4を丸で囲む。(b) (a)における遺伝的なグループの地理的な位置関係。地理的に近い地点で構成されるグループ2,3,4と比べ、グループ1は八重山諸島と奄美大島、種子島を含み、離れた地点間で遺伝的な特徴が類似していることがわかる。
図3 南西諸島におけるコユビミドリイシ集団の複雑な分散の方向性。シミュレーション解析と統計値によって推定された、北方向の分散を緑色、南方向の分散をオレンジ色、同じ地域内の分散を青色で示す。全体の傾向としては北方向の分散が多く起こる一方で、一部の地域においては南方向や地域内での分散が起こっている。