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西日本における歴史時代(過去1,300年間)の気候変化と人間社会に与えた影響

2017年1月4日

川幡穂高(東京大学大気海洋研究所)

気温と降水は気候の最重要項目です。寒冷限界値を除くと、これまで難しかった高精度の夏期の気温復元を、水温と気温の高相関を利用した新方式を用いて西日本で行いました(誤差0.2℃程度)備考1。 「桜の開花日」等の文献記録と一致しているので、信頼性は高いと言えます。

平安初期(西暦820年)の嵯峨天皇の頃に最高気温(25.9℃)を記録しました。一番寒かったのは、平清盛の生きた平安後期(11~12世紀,約24.0℃)で、聖徳太子の活躍した飛鳥時代初期(600年頃,24.7℃)、応仁の乱の後の戦国時代初期(1450年頃,24.4℃)も寒冷でした。奈良時代後期、室町時代などは温暖で概して平和、寒冷期は社会の変革の時期に対応していました。

950~1250年頃は、ユーラシア大陸を中心として「中世温暖期」として有名です。しかし、本研究で得られた結果は予想外に「寒冷」でした。「日本には中世温暖期はなかった」ということになります。たぶん、大規模なエルニーニョが原因と考えられます。

広島の現代の気温は、再現した長期間の平均気温と比較して明らかに高いので、地球温暖化が進行していることがわかります。最高・最低気温の差は2.1℃でしたが、平均気温2℃の差は青森と仙台の違いに相当するので、農林水産業にも大きな影響があったはずです。

本研究では、時間解像度が十分でないものの、過去3,000年間の気温も復元しました。水稲栽培を最初に始めた人(弥生人)が日本にやってきた紀元前5~10世紀(23.8℃)はとても寒く、大陸での気候の悪化が移住の遠因かもしれません。弥生時代の開始期、貴族政治の開始期、武家政治の開始直前、近代社会の開始直前と、社会の仕組みが大きく変化する境界期のほとんどが気候の寒冷期に対応していました。

旧体制が崩壊していくプロセスは今後、考古学、歴史学、社会学、経済学などの共同研究に待たれますが、特にGDPを農林業の生産に大きく依存していた社会では、気候の寒冷化は社会に不安定な要素をもたらし、旧体制の崩壊を助長したのかもしれません。

※読売新聞2016年11月9日に掲載された記事がコンパクトにまとまっているので、本ページの最後に掲載します。

備考1:陸の近傍に広がる湾では、海水の熱容量が高いために、冬期を除くと水温が気温との間に強い相関のある特性があります。
 

Climatic change and its influence on human society in western Japan during the Holocene
完新世における気候変動と西日本の人間社会に与えた影響
By KAWAHATA, H., Matsuoka, M., Togami, A., Harada, N., Murayama, M., Yokoyama, Y., Miyairi, Y., Matsuzaki, H., Tanaka, Y.
Quaternary International, 2016, DOI: 10.1016/j.quaint.2016.04.013.
川幡穂高,松岡めぐみ,戸上亜美,原田尚美,村山雅史,横山祐典,宮入陽介,松崎浩之,田中裕一郎

Hodaka KAWAHATA
Corresponding author
Email: kawahataaori.u-tokyo.ac.jp         ※メールアドレスの「◎」は「@」に変換して下さい
Tel and fax: +81-4-7136-6140

第1図 西日本の気温(℃)

第2図

 3000年間のアルケノン水温および気温。但し、気温の方が水温より1.6°C高い。黒丸と白丸は、コアH1とH3を表す。一番上のカラムは、日本の大局的な社会体制を表し、これは5つに分類される。大陸から日本への大規模な人間の移動もグラフの上に記した。ここで示す飢饉は寒冷気候に伴うものを挙げている。中世の飢饉としては、 養和 (1180AD)、 寛喜(かんぎ) (1230 AD)、寛正(かんしよう) (1460 AD) 、江戸時代には、寛永 (1642–43 AD)、 天明 (1782–87 AD)、 天保 (1833–39 AD)が挙げられる。
 上部の黒三角は、大規模火山噴火を表し、イタリックはその可能性の高い火山名を表す。特に、1258AD年の噴火は、グリーンランドの氷床コアなどでも認知されているが、その源は不明である。
 温暖化以前の20世紀の平均気温(25.2°C)と水温(23.6°C)は、3000年間の平均気温と同じだった。1000 BC–400 BC, 600–1400 AD 1750–1850 ADにおける灰色の曲線は、黄海のコアから得られたアルケノンSSTで、平安から鎌倉時代にかけての灰色の曲線は、歴史記録に基づく半定量的な推定気温である。江戸末期の気温は、気象学者Kondoによる文献値から計算した値である。なお、矢印は、中世温暖期(約 950–1250 AD [あるいは 1000–1400 AD]) と小氷期(約 1600–1850 AD [あるいは1350–1850])を表す。図より明らかなように、日本においては、中世温暖期は認められず、小氷期は存在した。 

読売新聞2016年11月9日

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