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地球最後のフロンティア、深海を探る ~新世紀を拓く深海科学リーダーシッププログラム~

2010年10月10日

塚本久美子(HADEEPプログラムマネージャー)

私たちの足もとにありながら、高圧、低温、暗黒の極限環境が人間の侵入を阻み続けている深海。世界の海洋の約98%を占めている深海 ( 水深200m以深の海域) は、「地球最後のフロンティア」と呼ばれています。深海には様々な海洋生物や鉱物などの地下資源が存在していますが、いまだその全容は解明されていません。また、深海は海洋環境の変化や気候変動を観測するためのフィールドとしても注目されています。とくに最近では地球環境に対する海洋の役割が再認識され、多様な役割を持つ海洋の総合的管理の視点から、その利用と保全の必要性が急速に高まっています。

プログラムの目的

これまで、国内では研究者や観測機器が不足しているために、戦略的な深海科学研究はなされてきませんでした。日本は、国土の広さは世界第60位ながらも世界第6位の広さの排他的経済水域を保有していますが、深海科学研究者は全国に約200名程度とされています。この数は諸外国と比較しても非常に少ないのが現状であり、長期的視点に基づいた人材の育成が緊急の課題となっています。

この現状に対応するため、大気海洋研究所では深海科学の中核を担う人材の育成を目的として、教育と研究を軸としたプログラム「新世紀を拓く深海科学リーダーシッププログラム(HADEEP ; Hadal Environmental Science/Education Program)」を日本財団の支援を得て2006年4月より実施しています。これまでに日本で唯一の深海科学講座である「深海科学概論」の設置や、日本海溝、マリアナ海溝などへの研究航海を行い、若手研究者の育成に取り組んできました。

研究プログラム 超深海で生きる生物たち

「研究プログラム」では、英国アバディーン大学オーシャンラボと共同研究を行っています。6,000m以深の超深海域を対象に、生物相や生物の生態を研究しています。オーシャンラボと共同で製作した12,000m級の海底設置型長期観察システム(ランダー)をプラットフォームとして、環境データ取得のための観測機器、生物観察のためのビデオカメラを海底におろし、データ、映像を取得しています。今までに7回の研究航海を行いましたが、2008年10月の学術研究船白鳳丸研究航海では、茨城沖の日本海溝の深度7,703mの海域で、これまで超深海では生息しないと考えられていた大量の魚の映像を撮影することに世界ではじめて成功しました(見開き下段の写真参照)。また昨年11月のニュージーランド沖ケルマデック海溝の研究航海でも、南半球では最深となる深度7,561mでの魚の撮影に成功しました。興味深いことに、撮影された魚は日本海溝で撮影された魚と酷似しており、これらの魚が何千キロも離れた独立した海溝にどのように生息域を広げたのか、あるいは別々に進化した結果なのか、解析が待たれます。また、両海溝からは、新種1種、および新種の可能性がある2~3種を含むヨコエビ類も採取されており、他の海溝のヨコエビ類との分子系統解析が予定されています。

教育プログラム 次世代を担う研究者を育てる

HADEEPでは、若手研究者を深海科学の第一線の研究者や技術者、あるいは行政担当者として育成することを目的とする「教育プログラム」が実施されています。現在の日本では、博士号取得直後の若手研究者の就職はたいへん難しい状況にあります。本プログラムでは、博士取得後の若手研究者に専門知識をより深める機会を与え、社会へ出るために必要な知識、技術を学ぶ手助けをしてきました。プログラムが実施された4年半の間に、21人の博士研究員が在籍し、地学、物理、化学、生態、生命、資源などの分野から深海研究を進めてきました(上に挙げた写真はその成果の一部です)。現在までに13人が社会へ巣立ちましたが、研究者としてばかりではなく、本プログラムの設置目的の一つである、技術者、行政担当者として職を得た人も多くいます。私たちは本プログラムを通して、次世代の深海科学と海洋の総合的管理を担う人材が輩出され、「地球最後のフロンティア」に挑む研究者、技術者、行政担当者が、大きく世界で活躍することを期待しています。

研究プログラムの成果から

超深海域の分布
「超深海」(6,000m以深)は、世界のなかでも特に、海底でプレートの沈み込みがおこる日本近海に集中しています。図では、赤色の海域が超深海です。海の部分の青色は、濃くなるほど深さが増すことを表しています。

大気海洋研究所と英国アバディーン大学オーシャンラボが共同で制作した世界最高深度でも使用可能な12,000m級の海底設置型長期観察システム(ランダー)(左)と、白鳳丸甲板でランダーを海へおろす準備をしているようす(右)
軽量で持ち運びやすいため、どのような研究航海でも対応できるのが特徴です。装着した観測機器やビデオカメラに、深海の環境データや生物の映像を保存し、陸上で解析します。

実験室で飼育中のウミユリの一種であるトリノアシ(赤外線写真)
ウミユリは、漢字で「海百合」と書くように百合の花に似た深海に住む棘皮動物です。トリノアシは、ウミユリのなかでは世界で最も浅い海に生息しています。可視光線に弱いため、普段は水槽を真っ暗にしておきます。実験中は赤外線の見えるゴーグルやビデオカメラを使って観察します。

地層から発見された新科新属新種の巻貝の化石
海底から湧きだすメタンを利用する細菌を栄養源にしていたと思われます。深海に生息していた貝が、メタンが噴き出る極限環境に適合していく進化の途中段階の姿と考えられ、厳しい環境下に住む生物の進化の過程を解明する上で、貴重な発見です。学名は Hokkaidoconca hikidai と命名されました。

生きている浮遊性有孔虫(左)と有孔虫の殻(右)
 
中央の殻の直径は約数百マイクロメートル。生きている時には殻の周りにトゲなどを持っているため肉眼でやっと見ることができます。炭酸カルシウムでできた殻は、生きていた環境の情報を克明に記録しているので、長い間に海底に堆積した彼らの殻を解析することで彼らの生きていた時代の地球環境を知ることができます。

2008年10月、茨城沖の日本海溝、深度7,703mで撮影されたシンカイクサウオの群れ(ビデオ映像より)
このシンカイクサウオの仲間は、これまで、6,000m以深の海溝でのみ発見されており、超深海層に生息する種と考えられます。シンカイクサウオについては、繁殖生態、行動生態など生態的な情報がほとんどありません。HADEEPが得た映像で、初めてその一端が明らかになりました。17匹の非常に活発に活動する魚が同時に撮影されたことは、生息数もこれまで考えられていたよりも多いことを示しているのかもしれません。

2008年10月、茨城沖の日本海溝、深度7,703mで採取したシンカイクサウオ
他のクサウオ科魚類同様、体は全体が非常に柔らかく寒天質です。肝臓が肥大しているのは、深海では食べ物に出会える機会が頻繁にはないので、眼につくものは全て口にし、栄養として肝臓に蓄えている結果かもしれません。眼が非常に小さく、映像では光に動じている様子がなかったことから、眼としての機能は失われているのかもしれません。いずれにしてもシンカイクサウオについては得られたサンプルが少なく、まだまだわからないことばかりです。

2008年10月、茨城沖の日本海溝、深度7,703mで採取されたヨコエビの一種
ヨコエビ類は、HADEEP研究航海で取得したすべての画像で、大量に観察されました。このことから、ヨコエビ類が深海の食物連鎖に大きな役割を果たしていることが考えられます。今までに、少なくとも、新種1種、および新種の可能性がある2~3種を含むヨコエビ類が採取されており、採取した海溝間での系統解析の結果が待たれます。


* 本記事はOcean Breeze 第2号(2010秋)より転載しました。

* 当プログラムは2011年3月で完了いたしました。
  http://www.aori.u-tokyo.ac.jp/project/hadeep/index.html

研究トピックス