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マイワシはなぜ高い? -資源量激減の2つの局面-

2008年3月

海洋生物資源部門 資源生態分野

マイワシの親魚資源量(面)と新規加入尾数(●)


 

(1)資源激減の第1局面(自然死亡)

日本周辺海域のマイワシ資源は1980年代末から激減した。太平洋側のマイワシ親魚資源量は、1988年の1340万トンを最高として減少し、2004年には5万トンと著しく低水準になった(図1)。

このような極端な減少はどのようにして起こったのであろうか。図1の折れ線を見ると、年々新しく資源へ加入する当歳魚の尾数が1988年から極端に低くなったことがわかる。このような加入尾数の激減は、卵から生まれた仔魚が生き残って資源へ加入する割合(生残率)が低下したために起こった。1978年~1987年には、100万の卵からおよそ100尾が生き残って資源へ加入したが(生残率1%)、1988、89年には加入尾数が10尾に減少し(0.1%)、1990、91年にはさらに減少して100万尾から1尾しか生き残らなかった(0.01%)。マイワシ資源激減の最初の局面は、このように仔稚魚が資源へ加入するまでの生残率が極端に低くなったことによっておこったのである(図2)。

マイワシの親魚資源量(面)と新規加入尾数(●)

図1:マイワシの親魚資源量(面)と新規加入尾数(●)

1988~1991年の加入尾数激減によって、親魚資源量は激減を開始した

図2:百万の卵から資源加入まで生き残った尾数の割合

1988~1991年には生残率が著しく低かった

 

(2)減少の第2局面(漁獲)

もう一度図2を見ると、1992年以降の生残率は回復傾向にある。それにもかかわらず新たに資源へ加入する当歳魚の尾数は低水準のままである。1990年代半ば以降さらに資源量が減少して、最高時の0.5%以下になった原因はどこにあるのだろうか。ある年に生まれたマイワシ群が年齢とともに数を減らしていく様子を図3に示した。資源量増加年代の1980、1985年生まれの1、2、3歳時の資源尾数は、0歳時の資源尾数のそれぞれ63、34、17%であった。ところが減少期の1993、1998年生まれでは1、2、3歳時に55、15、4%しか生き残っていなかった。

資源量増加期(1980年級○太線と1985年級○細線)と  減少期(1993年級●細線と1998年級●太線)における、0歳時資源尾数に対する1~4歳時資源尾数の割合

図3:資源量増加期(1980年級○太線と1985年級○細線)と減少期(1993年級●細線と1998年級●太線)における0歳時資源尾数に対する1~4歳時資源尾数の割合

減少期には加齢に伴う減少が大きい

なぜこのようなことが起こったか。漁獲の強さを表す漁獲係数を図4で見ると、それはたちどころに理解できる。1990年代の親魚資源量の減少に伴って、1、2歳魚に対する漁獲が著しく強くなった、つまり親魚資源が少なくなったので、資源へ加入したばかりの若齢魚を大量に漁獲したということがわかる。新たに資源へ加入した当歳魚の多くを、繁殖年齢になる以前に大量に漁獲してしまった結果、親魚資源量はいっそう減少してしまったのである。

マイワシの親魚資源量(太線)、および1歳魚(○)と2歳魚(●)に対する漁獲係数

図4:マイワシの親魚資源量(太線)、および1歳魚(○)と2歳魚(●)に対する漁獲係数

親魚資源量の減少に伴って旋網漁業は若齢魚に対する漁獲圧を著しく高めた

 

(3)繁殖によって再生産する資源

言うまでもなく魚類資源は繁殖によって再生産可能な資源である。漁業活動を適切に管理し、野生生物の繁殖を保障することで再生産によって資源が更新され、持続的な利用が可能になる。現在の旋網漁業は、マイワシの繁殖を妨げ、資源の再生産を損なっている。そのために資源加入までの生残率が高くなっているにもかかわらず、マイワシ資源はいっこうに回復しないのである。 
スーパーマーケットに数百円もするマイワシが並ぶのは、このようなわけである。

研究トピックス