東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第5章 研究系と研究センターの活動

5-4 研究連携領域

(1)生物海洋学分野

本分野は,大学院新領域創成科学研究科において自然環境学専攻が専攻化された際に,同専攻に設置された海洋生物圏環境学分野の海洋研究所における所属分野として2006年11月に発足した.発足当初,海洋研究所では海洋研究連携分野〈生物圏環境学〉として設置され,当時環境動態分野の助教授であった木村伸吾が教授として着任,また同分野の助教であった北川貴士もこの新たな分野に異動した.2010年4月に大気海洋研究所として新たに改組された際に,海洋研究連携分野〈生物圏環境学〉は生物海洋学分野と名称を改め,海洋アライアンス連携分野とともに本所の研究連携領域を構成することになった.

本分野では地球環境変動に対する水産重要魚介類の応答メカニズムに着目し,海洋環境に係わる様々な分野の複合領域として,その総合的な海洋科学の研究と教育を目指している.海洋環境の物理・生物・化学的な要因は,生物資源の分布・回遊および資源量変動に様々な時空間スケールで影響を及ぼしており,エルニーニョや地球温暖化に代表される地球規模の海洋気象現象は,数千キロを移動する海洋生物の産卵・索餌回遊と密接な関係にある.その一方,幼生や微小生物の成長・生残には,海洋循環に伴う生物輸送や海洋乱流に伴う鉛直混合のような比較的小規模な海洋現象が重要な役割を果たしている.そこで本分野では,上述した生物を取り巻く海洋環境に着目し,研究船による海洋観測,バイオロギング,野外調査,数値シミュレーション,飼育実験,室内実験,化学分析などから生物の応答メカニズムを解明する研究に取り組んでいる.特に,ニホンウナギやマグロ類をはじめとする大規模回遊魚の産卵環境,初期生活史,回遊生態に関する研究は,外洋生態系における重点的な研究課題となっている.

ニホンウナギ幼生の産卵回遊に関する研究では,海洋観測と数値シミュレーションから幼生の輸送分散過程を定量的に示し,エルニーニョに伴う北赤道海流域の海洋構造の変動がシラスウナギの来遊量と密接に関連することなどを明らかにしてきた.ニホンウナギの不安定な回遊環を構成する一要素は,産卵海域が北赤道海流の北緯15度付近にピンポイントで位置していることにあるが,北赤道海流を南北に二分する塩分フロントに着目し,レプトセファルス幼生およびその餌とみられる海水中の懸濁態有機物の炭素窒素安定同位体比がこのフロントで大きく変化することから,産卵回遊におけるこのフロントの役割を示した.またこの解析から,幼生の摂餌水深は浅い表層の低塩分水にあることを明らかにした.幼生の輸送分散過程に関する研究は,大西洋におけるヨーロッパウナギとの比較研究へと展開し,耳石日輪数が環境水温によって変化する既往の飼育実験結果を組み入れた数値シミュレーションから,ニホンウナギに比較し極めて長い幼生輸送期間をヨーロッパウナギが持つことの妥当性を明らかにした.さらに,親ウナギが生息する淡水・汽水域での生息環境に関する研究を進め,人工護岸の有無が生息密度および餌生物の量や種多様性に影響を及ぼしていることを明らかにする研究へと発展させている.

一方,マグロ属魚類の研究では,バイオロギング手法を用いて漁場間の細かな時空間スケールの海洋環境変化やそれが個体の温度生理に及ぼす影響を解明し,行動のメカニズムやその意義,さらには適応進化過程について科学的に確かな情報を提供した.具体的には,クロマグロの遊泳水深は混合層の厚さによって変化し水温躍層が発達する夏季には表層に限定され,これは日照条件にも左右されること,さらに体温は水温より約10ºC近く高く保たれており,哺乳類並みに産熱していることを明らかにし,高い体温保持能力ゆえ高緯度域での良好な餌料環境を利用して魚類の中でも最大級の成長を可能にしていることなどを明らかにした.近年では,産卵海域が限定されている理由を数値シミュレーションから検討している.また,これまで確定されていなかった大西洋産クロマグロの標準和名について,新たにタイセイヨウクロマグロという名称を提案するなど,社会問題に直結する課題にも積極的に取り組んでいる.さらに乱流発生に伴うマグロ類の仔魚の生残に関わる研究を全米熱帯マグロ委員会と共同で行うなど,バイオロギングでのスタンフォード大学との連携と併せて,国際的な展開を進めている.

同時に人間活動がもたらす沿岸生態系への影響評価を視野に,アワビやムール貝といった底生生物が生息する内湾・海峡域の流動環境や基礎生産環境に着目した沿岸生態系に関する研究にも着手しており,英国バンガー大学と強乱流混合海域における高生物生産維持機構の解明に向けた国際共同研究を展開する一方,地球温暖化など近未来の地球環境変動に対応した資源生物の動態予測研究にも力を入れている.

学生教育においては,木村と北川は新領域創成科学研究科自然環境学専攻の基幹教員として,木村は農学生命科学研究科水圏生物科学専攻の兼担教員としてその任にあたってきており,これまでに乱流に伴う仔魚の摂餌・成長・生残に関する研究で加藤慶樹(農学),アワビ幼生の輸送分散に関する研究で三宅陽一(農学),ウナギ属魚類の産卵回遊に関する研究で銭本慧(環境学)が博士号を取得した.また,自然環境学専攻博士課程を単位取得済み退学した宮崎幸恵が博士号取得の準備中である.博士号取得あるいは博士課程存学者以外で修士号を取得したのは山岡直樹,溝呂木奈緒,長田暁子,青木良徳,魚里怜那,塩崎麻由である.また,受託研究員,外来研究員,日本学術振興会特別研究員として,日高清隆,松本隆之,金煕容が在籍した.

2011年度の在籍者はD3:[新]森岡裕詞,D1:[新]板倉光,竹茂愛吾,M2:[新]中嶋泰三,M1:[農]矢倉浅黄,[新]入谷長門,研究実習生:Daniel Ophof(イギリス),外国人研究学生:Diane Cambrillat(フランス),特任研究員:銭本慧である.

(2)海洋アライアンス連携分野

海洋アライアンス連携分野は,海洋アライアンス[➡4―2―3(3)]が雇用した特任教員が所属する分野として2009年3月に設置され,その後,2010年4月に大気海洋研究所として新たに改組された際に,生物海洋学分野とともに研究連携領域を構成することとなった.海洋アライアンスとは,社会的要請に基づく海洋関連課題の解決に向けて,海への知識と理解を深めるだけでなく,海洋に関する学問分野を統合して新たな学問領域を拓いていくことを目的に設置された部局横断型の機構と呼ばれる組織であり,大気海洋研究所がその母体を担っている.

本分野には,大気海洋研究所で雇用される特任教員として青山潤特任准教授,新領域創成科学研究科で雇用され大気海洋研究所を兼務とする特任教員として高橋鉄哉特任講師(2008年9月~2011年3月),下出信次特任准教授(2011年4月~2012年3月)が在籍し,2012年4月には山本光夫特任准教授が着任予定である.本分野の特任教員は,新領域創成科学研究科自然環境学専攻の授業担当教員として大学院教育を担っている.また,海洋アライアンスの副機構長でもある生物海洋学分野の木村伸吾兼務教授が分野主任を併任している.この分野では,海洋に関わる様々な学問領域と連携しつつ研究を進めるとともに,海洋政策の立案から諸問題の解決まで一貫して行うことができる人材を育成するための研究・教育活動を行っており,主な任務は,海洋アライアンスが実施する海洋学際教育プログラムでの教育と学際海洋学ユニットでの研究活動である.

研究活動としては,回遊性魚類の行動解析と資源管理方策に関する研究が進められており,地域や国の枠を越え地球規模で海洋を移動する高度回遊性魚類資源の持続的利用を図ることを目的に,回遊メカニズムの基礎的理解に加え,海洋環境の包括的な把握,さらに社会科学的側面を総合した統合的アプローチによる管理保全方策の策定を行っている.この研究の一環として,東アジアの重要な国際水産資源であり日本を代表する食文化のひとつであるウナギを対象に,資源の保護・保全方策に関する研究がある.ここでは従来の自然科学的アプローチに加え,台湾,韓国,中国の研究者や鰻関連業界,多くのマスコミや一般市民からなる「東アジア鰻資源協議会」の活動に中心的な役割を果たしている.一方,市民参加型のウナギ資源・環境モニタリング手法の設立を目的とした「鰻川計画」を東アジア一帯で遂行している.また,海洋アライアンスの設立趣旨を具体化するための一手段として,高い専門性を持つ学術書のみならず,調査研究の重要性や科学の魅力を広く社会に伝える講演会や一般書の刊行にも力を入れている.さらに海洋キャリアパス形成と人材育成に関する研究として,海運,海岸開発,漁業など多様な価値観が交錯する海洋で起こる複雑な問題解決のために必要な分野横断的知識を涵養し,学際的知識を有する人材育成,とくに関係省庁での効果的なインターンシップ実習のためのカリキュラムを作成し,学生のキャリアパス形成がより具体的になるよう教育活動に努めている.