東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

大気海洋研究所の50周年に寄せて

次の50年に向かって

西田 睦

[元海洋研究所所長・元大気海洋研究所所長]

2012年春の定年退職まで,私は本所で13年を過ごさせてもらった.ここでは,この間を振り返ってみて思いつくことを,いくつか記してみたい.

まず,たいへんありがたく思い出されるのは,自由に,思う存分に研究ができたことである.まことに幸せなことであった.赴任してすぐの1999年から,文部科学省の新プログラム方式のプロジェクト「海洋生命系のダイナミクス」を,塚本勝巳教授を中心に木暮一啓教授らと準備することになった.幸いこれは採択され,2000年から5年ばかり,本所の同僚および全国の多くの研究者たちとこれを推進した.そのころの記憶は,今でも私の中で輝いている.

赴任してすぐということで,もうひとつ思い出した.私が本所に赴任した1999年は今の天皇の在位10年ということで,記念行事がいろいろと催された年度であった.政府筋でいろいろな行事が検討される中で,文部科学省関連では,魚類学を中心にした国際会議を催すのがよいのではないかという話が出てきたようで,その具体化のお世話を本所ですることになった.そしてなぜかその係が私に回ってきた.赴任早々で驚いたが,研究仲間や研究室の皆さんの協力を得て,魚類の多様性に関する国際シンポジウムを企画した.盛会となったシンポジウムのレセプションでは,主催組織の長として平啓介所長が挨拶をされた.この経験はやや特殊なものであったかもしれないが,赴任早々の私に,本所の存在意義―海洋に関わる学術研究における日本での中心的世話役としての使命を背負った組織なのだということ―をはっきりと教えてくれた.

その後,2007年春から4年間,私は所長の職を預かることになった.本書の第I部のタイトルには「20世紀から21世紀へ―激動の20年」とあるが,まさにこの20年を締めくくるにふさわしいと言っていいくらい,じつに多くのことのあった4年間だった.おもなものを挙げるだけでも,柏キャンパスへの移転,大気海洋研究所への展開,大槌の国際沿岸海洋研究センターの被災があった.ほかにも,忘れられない,あるいは忘れてはならない多くのことがあった.何とかこれらを切り抜けることができたのは,本所の構成員の協力・尽力のおかげと言うほかない.ふだんは目に触れない各構成員の献身的な働き(そのときには,必ずしも結果が稔らなかった代船建造や概算要求などの準備作業を含む)が,組織を支え,将来の発展を準備しているということを痛感した.ましてや,新たなものを創りあげる新棟建造や大気海洋研究所設立などにおいては,よいプランを作り,それを成功裏に実施するのに発揮された多くのメンバーの知恵と労力がいかに優れており大きかったか…….いま思い出してみても,個々の局面で尽力していた人たちの姿が,感謝の念とともに目に浮かぶ.准教授・講師層の積極性も心強かった.こうした構成員の誠実性と力量,そして若い人たちの積極性がある限り,本所の将来に間違いはないと確信する.

海洋研究所の所長を仰せつかったときには,柏キャンパスへの移転を数年後に控えていた.まずはこれを成功裏に成し遂げることが重要な使命であると考え,私なりに力を尽くした.2010年の春に,中野から柏に一気に移転し,外光がうまく取り込まれて明るい新棟(大気海洋研究棟)で皆が活動を開始したのを見届けたときは,本当にうれしかった.

一方,移転の重要性を考えたのと同時に,この機会にさらに所の積極的な展開を図る必要があるのではないかとも考えた.2004年の研究船移管によって,海洋研究所は教職員数も予算規模も半分近くになってしまった.移管後も本所は誠意をもって研究船の共同利用の運営を行っているが,これだけではどうも淋しい.それならば,この状況を逆手に取って,新たな展開を図ればよいのではないか.つまり,かつては研究船を有していたがゆえにあえて手を出さなかった研究分野へも,大いに進出していけばよいのではないかと考えた.そこで,気候システム研究センターとの連携について議論を開始した.幸いなことにこの議論は生産的に進み,大気海洋研究所への発展という形に結実した.大規模な数値モデルを駆使した地球環境変動研究という重要な手法と分野にまでレパートリーが広がったのである.シナジー効果も大いに期待できる.建物・施設とともに組織も拡充して次の50年の入口に立てたことは,たいへんよかったと思っている.

少し長い時間スケールで俯瞰的に見てみると,海洋研究所や気候システム研究センターが設置された時代は,日本経済が高度成長をしていた時期,そしてその余波が残っていた時期だったことが分かる.いまや状況は大きく変化した.日本はおそらく1世紀以上にわたって人口が減少し続け,従来型の経済成長は見込めない時代に入った.世界も急速に変わっていく.これは決して悲観すべきことではないと思うが,ただし,この流れの中で本所が活発に活動を継続し,その使命を的確に果たしていくには,大事な前提条件があると思う.それは,発想の不断の革新である.これから,本所の役割はますます重要になってくるはずだ.次の50年は,今までとは大きく異なる.それを新しい態勢で迎えることのできるメリットを大いに生かして,斬新な発想で大気海洋科学の「知の拠点」・「理性の砦」として本所がますます活躍することを心から願っている.