東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

大気海洋研究所の50周年に寄せて

気候システム研究センター創設時の思い出

住 明正

[元気候システム研究センター センター長]

はやいもので,気候システム研究センターが出来てから20年余が経過した.気候システム研究センターを立ち上げ発展させるのは,35歳で気象庁から東大に移ってきてからの10数年間,40代から50代の半ばまでの仕事であった.今から振り返ると,バブルという時代の雰囲気に後押しされていたという気もするが,当時は「頑張れば,必ず実現する」というイケイケの気分であった.

当時の地球物理学教室では,地震研究所や海洋研究所などの固体地球関係の教官が多く,また,東大での気象関係の講座増の概算要求が通らなかったこともあり,気象グループとしては,気象や気候として独立したいという気分が強かった.そのためにセンター長を選ぶ際に,4名しか教授がいないのにもかかわらず,センター所属の教官から選ぶという規定を作ったのである.「このようなセンターをつくるときには,センター長は学部から出してゆくものだ」と言われたと松野先生に聞いたものである.このような学部偏重の雰囲気に果敢に挑戦してゆく気分であった.

気候システム研究センターが立ち上がったのは「新プロ」と呼ばれるプロジェクトが立ち上がったからである.そこで共同研究する場を作るということで,共同利用のセンターが立ち上がった.これには東大総長の有馬先生や本部,そして文部省研究機関課の支援がとても重要であった.また,地球物理学研究施設を振り替えたので,地球物理学研究施設の理解も貴重であった.結局,多くの人の協力が必要なのである.概算要求の説明の中で「気象研ではダメな理由を書け」などというような質問が来る.これらに対応して「決して相手に見せないから自分のところが優れていると強く書け」と言われたことを懐かしく思い出す.

建物にも苦労した.最初は新しい予算がつくという話であったが,どんどん話が小さくなり,最後には2年かけて既設の建物を修理することになった.宇宙航空研の古い建物を選び,当初は大幅な改修ができるものと思ったら,予算がどんどん削減されて現用の建物となった.この過程でアルミサッシが高いものだということを知らされた.そこで昔の木の窓枠を使ったのだが,後から考えるとこれは風情があり,非常に良かったと思っている.また天井が高く,床の板張りや桜がきれいなことも印象に残っている.

建物が出来るまでは,理学部7号館の地下に間借りをしていた.窓もなく外の状況が全く分からない部屋である.最初の年の御用納めの日に,皆で一杯飲んでいたら,帰る時に外は大雪であったことを思い出す.2月に駒場に移ったが,人が住んでいない建物は本当に寒く,皆で震えていたことを思い出す.

それでも,新しい枠組みができ,皆,元気に活動し始めた.数値モデルの開発を軸に研究を展開してゆくことになる.センター運営としては,QBO(準2年周期震動)や大気化学,エアロゾル,衛星観測などという軸を掲げながら,短期で出来る目標,中期で達成する目標ということを想定していた.しかし実際は,それぞれ個人の自発的意思に任せることとした.そこで出来る限り教育・研究に専念できるようにと考え,会議の数は大幅に減らした.また「金の苦労はさせない」という方針で資金を用意した.これには,伊藤忠商事の寄付講座などが大いに役に立った.さらに玄関の横の和室は思い出深いものであった.皆が同じところを通るので,帰る学生を呼びとめたりして飲み会には好都合であった.

2002年に地球シミュレータが動き出し,そこで動く気候モデルを開発し,IPCCに対し成果を出そうという「共生」プロジェクトが始まった.当時は「日本の大学は実力があるのだが,資金がないから成果が出せない」と言っていたが,いざ予算がついて「成果を出せ」と言われると,身震いしたものである.本格的な気候モデルは気象研でのみ開発されており「個人の研究業績を重視する大学などで開発できるのか?」という声も聞かれた.このような中で山あり谷ありであったが,高分解能気候モデルを開発し,成果が出せたのも,気候システム研究センター創設以来,巣立っていった学生たちのおかげであるといえる.大規模なモデル開発は組織的に行わざるを得ず,それには共通の認識と参加者相互の信頼感が不可欠である.そのためにも同じ場所で,同じ時間を共有した人間の存在は貴重である.やはり「教育は国家百年の計」であると言うのは正しいと実感した次第である.

時代は大きく変化している.「過去の成功体験が,将来の発展への桎梏となる」とも言う.モデル開発の分野でも気候モデルから,地球システムモデルへと,さらに社会への影響を含む影響評価モデルへと大きく発展してゆくことであろう.新しい大気海洋研という枠組みの中に場所を変えたのであるから,これを契機としてさらなる発展を若い人には成し遂げてもらいたいものである.今後の発展を祈念する.