東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第3章 大気海洋研究所の設立への歩み

3-3 研究所運営・諸活動の充実

3-3-1 研究所運営面の充実

大気海洋研究所では,研究所の運営面でいくつもの新たな工夫がなされた.その多くは,海洋研究所時代あるいは気候システム研究センター時代に試みが開始され,大気海洋研究所で本格的に動き始めたものである.

法人化時(2004年4月)に制定された本学基本組織規則で「研究所に関する校務をつかさどり,研究所の教授会を主宰し.所属教職員を統督する」ものと規定された所長の職務が円滑に遂行されるよう,所長室が内規に基づいて置かれるようになった.所長室は2011年度末現在,所長,2名の副所長,2名の所長補佐で構成され,事務長,2名の副事務長,総務課専門員が加わり,定期的に会合を持って,所長業務を日常的に補佐している.

2010年度からは,内規に基づいて,所の運営に関し,所長から提起された事項について検討することを目的に,系長・センター長会議が置かれている.後述する教員採用可能数のポイント管理・運営を各系や部門で長期視野で考え,他の系や部門と調整するには,系長・センター長会議の機能が重要であると考えられるが,どのようにしてその役割を発揮させるかは,系長や部門長の選び方の問題ともあわせ,今後の大気海洋研究所の運営上の大切な課題である.所内の種々の事柄については,それぞれに対応する委員会(教員・技術職員・事務職員などで構成)が,検討・調整の仕事をしている.2010年度からは,施設計画委員会が海洋研究所の移転委員会やそれ以前の建築委員会の機能を引き継いだ活動を開始している.

大気海洋研究所に新たに設けられた共同利用共同研究推進センターは,本所の共同利用・共同研究および研究所内の研究に関する支援を行うとともに,新たな技術の導入・開発および研究施設等の管理・運用等を行うことを目的としているが,技術系職員の組織化の側面も有している[➡3―2―5].そのこともあり,その運営は教員と技術系職員が密接に協力して進めていく体制になっている.

海洋研究所の柏移転は,2004年の学術研究船移管の影響を思わぬ形で顕在化させた.それは事務組織の問題である.学術研究船とその職員60余名を保有していたときには,事務部長と総務課長および経理課長を置いて事務をとりおこなっていた.海洋研究所は,それらの移管後もこの事務体制を維持していたが,柏移転が近づいた2009年7月,本学本部より,柏移転時を契機に,事務部長体制の解消を要請された.柏地区の事務体制とのバランスもあるので,ということであった.柏地区の事務体制は,柏キャンパスに本拠を置く部局の急速な増加を前に,いかにも暫定的なものであった.たとえば,各部局の事務の中心は,共通事務の課長が兼務するという形であった.本所としては,そのような方向に向かって事務部長体制を解消するという道は考えられなかった.そこで,せめて本郷地区の同規模の部局と同様の,1事務長-2副事務長体制にすること,またこれを契機に柏地区の暫定的な事務体制を改善することを要請した.最終的にはこれは了解され,移転と新研究所設立が一段落した2011年4月から,大気海洋研究所の事務は1事務長-2副事務長体制になった.柏地区の各部局等,すなわち新領域創成科学研究科,物性研究所,宇宙線研究所,数物連携宇宙研究機構に,それぞれを主務とする事務長が置かれることになった.海洋研究所の柏移転は,柏地区諸部局にこのような隠れた貢献をしたと見ることができる.

学術研究船の移管後も,海洋研究所・大気海洋研究所は,その共同利用にかかる運営のすべてを担ってきている.そうしたなかで,学術研究船を運航する海洋研究開発機構等との様々なレベルでの組織的対応が必要である.とくに,代船建造などの大きな事業の成功をはかるには,同機構との緊密な連携が重要である.本所では,研究航海企画センターが日常的な業務の連絡や打ち合わせを担っているが,重要な事項に関しては,所長室・教授会・研究船委員会等が検討を行い,また研究所協議会やそのもとにある研究船共同利用運営委員会とその各部会,さらには研究船共同利用運営委員会に設けられたワーキンググループでも検討を行い,対応をしている.たとえば,2004年4月に独立行政法人となった海洋研究開発機構には,この間「独立行政法人整理合理化計画」が持ち上がり(2007年12月),同機構が保有する他の5隻を含めた7隻の研究課題公募の運営を海洋研究所の力を借りて一元的に運営することにより「合理化」をはかるという案が,出てきたこともあった.この件に関しては,本所では研究船委員会での議論を基礎に対応し,2009年2月から半年にわたって双方の所長・理事も出席して頻繁に会合を持って活発に意見交換と検討を行った.その結果,本所が直接的に力を貸すというのではなく,現在,本所の研究船共同利用運営委員会ならびに同機構の海洋科学推進委員会によるそれぞれの運営はかなりよく機能しているので,それを基礎に,海洋研究者コミュニティ全体で航海計画を見わたす新たな委員会を置き,そこで調整をはかるのがよいという方向性が明らかにされた.また,最近の焦眉の課題である淡青丸代船建造に関しても,海洋研究開発機構から効果的な概算要求を出してもらうために,研究者コミュニティおよび本所は莫大な労力を払った[詳しくは➡4―1―2].こうした過程では,上に述べた研究船に関わる様々な委員会とその長が,たえず種々の検討や共同の作業に尽力してきている.

全国共同利用研究所そして共同利用・共同研究拠点としての前段で述べたような努力は海洋研究開発機構とだけ行っていたらよいというものではない.たとえば,淡青丸代船建造にかかる概算要求は文部科学省研究開発局海洋地球課を通じて上がっていくものであり,本所の責務を十分果たすためにも,同課とのより密接な情報交換の必要性が痛感されるようになった.また同課としても,急速に変化する状況下で諸施策をうまく立案するため,海洋とその研究に関する専門知識を有する大学教員の協力を得ることが求められていた.そこで同課と検討し,文部科学省研究振興局学術機関課の了解も得て,本所の教員が海洋地球課に文部科学省技術参与として恒常的に出向することにし,2009年9月より河村知彦准教授が出向くこととなった.週に1日の文部科学省勤務であったが,この出向は,広い意味でのパイプ役として非常に有効に機能した.2011年4月からは小川浩史准教授が技術参与を務めている.

2009年度に,海洋研究所は「国立大学附置全国共同利用研究所・研究センター協議会」(略称:全共協議会)の2010年度会長候補となった.ところが全国共同利用制度は2009年度で終了し,2010年度からは拠点制度が始まることになったため[➡4―1―1],西田睦所長は2008年度全共協議会会長の東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長および2009年度会長の京都大学霊長類研究所の松沢哲郎所長とともに,「国立大学共同利用・共同研究拠点協議会」(略称:拠点協議会)を発足させる準備をすることになった.海洋研究所の柏移転と大気海洋研究所の設立が目前に迫ってはいたが,所長・教員・事務職員が協力し合ってこの責務を果たし,2010年度はじめに拠点協議会を発足させた.西田睦所長は拠点協議会初代会長として1年間,池田貞雄事務部長,吉田雅彦総務課長,菊地みつ子専門員,宮城明治総務係長らと,その組織と活動を軌道に乗せるために尽力した.拠点協議会発足総会は2010年4月3日に安田講堂で開かれた.大気海洋研究所発足3日目で,所の事務も所長も多事であったが,本所は無事,そのホスト役を務め上げ,それに引き続いて開催された記念公開講演会では,木本昌秀副所長がインパクトのある講演を行った.

法人化し,国の財政事情も厳しくなっているなかで,基礎研究を維持推進するには,国民の理解がより重要になってきた.そのような認識のもと,海洋研究所でも気候システム研究センターでも広報・アウトリーチ活動に力を入れるようになっていた.さらに海洋研究所は,移転を控えて所内の諸情報の集約や保存などについても,広く広報活動の一環として取り組む必要を感じていた.そこで,2010年度から大気海洋研究所に特任専門職員を置いた本格的な広報室を置くことが計画された.2009年10月の教授会で広報室規則を制定し,2010年4月から着任する特任専門職員の公募を開始した.その結果,京都大学学術出版会で編集を担当していた佐伯かおるが選考された.こうして,2010年4月から広報室は極めて活発な活動を開始している.

上記のように,所内の運営や対外的な諸活動の充実が図られてきたが,それを支える中心は教員である.すでに概算要求で教員ポストを増やすことが実質的にはできなくなり,総長裁量ポストも含めた学内の再配分でそれを得ても,多くは時限付きとなるのが現状である.したがって,時限付きではあっても積極的にポストを得ることが重要である.一方,よい人材を得るには,時限付きの公募では難しい.そこで,本所設立を目指すなかで,教員採用可能数を所内でポイント管理し,時限付きポストが得られた場合,時限を付けずに公募をすることができるようなシステムの導入が考案された.これが実現し,使いこなせるようになれば,戦略的教員配置も可能となる.所長は,戦略的教員配置が可能なシステムを有している生産技術研究所などから情報を聴取した.こうした情報を基に,副所長を中心に所長室で何度も議論しながら案が練り上げられた.その案は,海洋研究所教授会および「海洋研究所・気候システム研究センター連携準備委員会」で検討の後,2010年2月に「東京大学大気海洋研究所設立準備委員会」において基本的に了承された.さらに大気海洋研究所教授会で詳細について検討を続け,2010年11月に基本的な方針が所長裁定された.これに基づいて,本所での教員人事は行われるようになった.