東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

大気海洋研究所の50周年に寄せて

新たな大気海洋研究の出発に向けて

中島映至

[元気候システム研究センター センター長]

気候システム研究センター(CCSR)が1991年に発足して,はや20年が経った.新しい大気海洋研究所の建物から柏キャンパスを眺めていると,いろいろなことに思い至る.先人たちが大気物理研究所構想を打ち上げた頃の,まだ見たこともない気候モデルに関する海外の研究論文に接した時のこと,その後の地球物理学の大きな発展と,さらにIPCCなどに象徴される地球温暖化問題への懸念の高まりの中で,CCSRが小さいけれども強烈な個性をもって気候モデリング研究を開始した時のこと,開発方針に関する激論,その後の多くの若者たちの活躍等々.若くして逝去した沼口敦君のことも思い出される.私自身も1991年当時は若造で,専門でやっていた大気放射学と大気エアロゾルの問題で培ってきた知識を使って,なんとか気候モデリングに貢献してやろうと勇んでいた.その頃はエアロゾルは気候モデルには必要ないんじゃないのと言われたこともある.しかしその後の世界の研究の展開は,モデルの急速な精緻化の歴史であり,今では大気エアロゾルと大気化学は気候モデルにとって不可欠な要素になった.このように,当時若い学生や駆け出しの若手研究者にチャレンジする場を与えたのも,大学における気候研究の功績であったのかもしれない.巨大なプラットフォームをみなで作るということと,個性ある個人研究を築くこととは矛盾しない.その後,若手がわが国の主要な気候研究者になり世界で活躍していることをみれば,このことが裏付けられる.基礎研究と割り切ってスクラッチからコードを書いたことも良かったのかも知れない.当初,大学において気候モデルを作ることは難しいといった声もあった.システムを組織的に作ってゆく必要があるからであり,基礎研究を中心とした大学では難しいと考えられたのである.しかし,それができた.なぜだろうか? この間のことを振り返ってみると,個々の教員はそれぞれの個人研究を持っていたが,センターという場のなかで,気候モデル作りにもある程度の時間を割こう,割きたいというモーメントが働いていた.学生が作ったモデルも組み込まれた.今ではMIROC,SPRINTARS,CHASER,COCOといった歴代の教員,学生が作ったモデルが,IPCC,WCRP,IGBPといった多くの国際枠組み・国際研究で引用・利用されている.このようなCCSRの活動によって,新しい大学発気候研究のビジネスモデルが提起されたと思う.もちろん,その後のJAMSTEC地球フロンティア研究システムの設立,地球シミュレーターの建設,共生プロジェクト,予測革新プロジェクトの実施といった現業としての気候モデリングのイニシアチブが立ち上がったこともCCSRから発信された気候モデリング文化の醸成にとって非常に重要であったことも記さなければならない.

現在,気候モデリング研究はMIROC数値気候モデルを基盤に多くの成果が生み出される成熟期に入った.その一方で新しい展開も生まれている.IPCC第5次報告書執筆活動のなかでも明らかになってきたひとつの方向性は,データ同化によるより精度の高い気候再現・将来予測,植生圏・物質循環・古気候などを表現できるより総合的な地球システム・モデリング,雲の問題を解決するために必要なキロメータ格子の全球高解像度モデルの開発などである.また,新しい京速計算機建設に象徴されるハイパーフォーマンス・コンピューティングの大きな進展も,方向性を示すキーのひとつである.

今,新しい仲間がいる.50周年を迎えた海洋研究所の研究者である.統合が行われて2年.この間,統合の是非,研究の在り方について激論をしたこともある.統合によって研究者が今後,どのように新しい研究を開拓できるかは今はわからない.しかし分かっていることは,ひとりでは急速に進む世界の研究には勝てないということである.創造的にシナジーを生み出してゆくことが必要だと思う.その活動の一環として設置された地球表層圏変動研究センターも本格的に始動した.その中で,若い研究者を中心に新しい場が生まれつつあるのも頼もしい限りである.新しい大気海洋研究所が,栄光の過去を将来に引き継ぐ新しいサイエンスを生み出すメルティングポットになることを期待している.