東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

大気海洋研究所の50周年に寄せて

大気海洋研究の国際拠点へ

浅井 冨雄

[元海洋研究所所長]

1962年4月に東京大学附置全国共同利用研究所として設置された海洋研究所は,当初の計画である15研究部門,大・小2隻の研究船に加え,臨海研究施設の目鼻もついて,創設期からまさに発展期に入ろうとする時期,1973年4月に,私は海洋気象研究部門を担当すべく海洋研究所に着任した.その年に三陸沿岸の大槌町に設置された臨海研究センターは,その後,国際沿岸海洋研究センターへと発展したが,2011年3月11日の東日本大震災でその施設は壊滅的な被害を蒙った.地元の大槌町と共に,より魅力的な施設への一日も早い復興を願っている.

さて,人工衛星による宇宙からの地球観測が始まった1960年代,国際学術連合会議(ICSU)と世界気象機構(WMO)が協力して,大気大循環の物理機構を明らかにして,天気予報の精度向上と予報期間の延長をはかるべく,地球大気研究計画(GARP)を立案し,いくつかの副(地域)計画を先行させつつ,1970年代に実施した.それら副計画の1つでありわが国が主導する気団変質実験(AMTEX)が3年計画(1973~1975年)として実施された.冬季,日本周辺海洋上での気団変質過程と低気圧の急激な発達機構に関する研究である.

AMTEXに参加する国内外諸機関の研究実施計画の調整,南西諸島を中心とした観測体制の整備等に奔走している時期に私の海洋研への転勤が重なったため,移転に伴う諸々の準備をする余裕がなかった,当時,官舎住いをされていた高橋浩一郎先生(気象庁長官)がしばらく御自宅を使うようにという御厚意に甘えた.地価急騰の時期と重なり,家さがしの苦労は苦い思い出となっている.

しばらくして西脇昌治所長から,海洋研創設時の計画が完了する機会に,また,設立15周年を迎えるに先立って,各研究部門がそれぞれ1巻を分担執筆する海洋学講座全15巻を東京大学出版会から刊行することになっており,既に大部分出揃っている,急ぐようにと尻をたたかれた.早速,前任者の小倉義光教授(イリノイ大学)の御指導と分担執筆者の協力を得て,進行中のAMTEXにかかわる研究成果や海洋気象分野の研究の展望等を内容とする『海洋気象』が海洋学講座第3巻として1975年11月に発刊された.幸運にも,その直後の12月24日,赤坂の東宮御所で皇太子殿下(現天皇陛下)に「海洋と気象」について御進講する機会に恵まれ,その折,出版されたばかりの『海洋気象』一冊を献本することができた.それから十数年後の1987年12月11日,再度東宮御所で「衛星リモートセンシング」について,高木幹雄教授(東京大学生産技術研究所)らと御進講の機会を得た.当時,実施中の科研費・特定研究「宇宙からのリモートセンシング・データの高次利用に関する研究」(1985~1987年)の成果を主要な内容とするものであり,植木文部省学術国際局長も同席され,前例がないプロジェクターを使ってのなごやかな懇談形式に近い御進講となった.

話は前後したが,1970年代に実施されたGARPの成果をさらに発展させるべく,1980年代に入って,気候とその変動の物理学的基礎を築くために世界気候研究計画(WCRP)が立案され,開始されることになった.海洋研究科学委員会(SCOR/ICSU)と政府間海洋学委員会(IOC/UNESCO)の合同組織「気候変化と海洋に関する委員会(CCCO)」は,世界的な海洋観測が世界気象監視(WWW)に比して圧倒的に不足しているので,世界海洋観測網を構想する前に,その中核となるような観測海域,観測手法・体制等についての調査研究を強力に推進することにした.例えば,先導的海洋観測方式の研究(POMS),海洋時系列観測(TSOM),海洋熱輸送評価実験(CAGE),海洋混合層実験(OMLET),エル・ニーニョ現象の解明に貢献した熱帯海洋観測(TOGA),海洋大循環実験(WOCE)等である.

このような背景のもとで,IOC第16回総会(1991年)は「世界海洋観測システム(GOOS)の構築をIOCの事業とする」と宣言する画期的な会議となった.それに対応する国内組織の整備・活動を図るため,1992年,文部省学術審議会の承認をとりつけ,わが国におけるGOOS研究推進体制づくりに貢献した.現在,Argoフロート(自動昇降型海洋観測器)が世界の海で稼働しており,10日毎に深さ2000mまでの水温・塩分を計測し,人工衛星経由でそれらのデータが収集されている.各国が協力して,年間300km平方の海域に1個に相当する3000個のフロートを世界海洋に展開・設置している.いわばラジオゾンデ気象観測網の海洋版である.私が直接関与しなかったためふれなかった多くの国際共同研究・事業が実施されたことは本史からもうかがえるであろう.1980年代末から始まった日本学術振興会(JSPS)「拠点大学方式による東南アジア諸国との学術交流(海洋科学)」(1988年~)及びIOC「西太平洋海域共同調査(WESTPAC)」(1989年~)の両者を適切に調整・推進することにより,アジア・太平洋地域における2国間・多国間共同研究,研究者育成・交流ネットワーク構築等に貢献している.

個別の学術的基礎研究のみならず,このように多くの政府あるいは非政府研究組織による世界的・地域的(主としてアジア・西太平洋域)共同研究にも深くかかわってきた海洋研究所では,個々の研究者・研究部門としてのみならず,研究所として組織的・長期的に対処すべき課題が増大しつつある.わが国がユネスコに加盟(1951年)して間もなくの頃,日本に国際海洋研究所の設置を提案しようとしたが,殆んど歯牙にもかからなかったと日高孝次先生(初代所長)がこぼされていた.当時に比して,今日その状況は一変している.私は在職最終年,海洋研究所内に国際共同研究センターの設置を目指して努力したが日の目を見ず,後を引き継いだ平野哲也所長らのご尽力で1年後に実現した.

中野から柏キャンパスへの移転を機に,気候システム研究センターと合併し,海洋研究所の創立50周年が大気海洋研究所として発足2年目に当たる.名実ともに大気と海洋の世界における研究拠点として飛躍することを期待している.