東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

大気海洋研究所の50周年に寄せて

法人化前後の海洋研究所

小池 勲夫

[元海洋研究所所長]

東京大学海洋研究所を定年で退職し,沖縄にある琉球大学に移ってからすでにに5年が過ぎた.しかし,現在でも国立大学法人に在職し監事として大学全体の業務を見ていることから,法人化が国立大学という日本の研究者社会に与えたインパクトの大きさを日々実感している.ここでは法人化を挟んで4年間所長を務めていた経緯から,この間における研究所としての大きな問題であった研究船の淡青丸,白鳳丸の海洋研究開発機構への移管とその後の動きを中心に,法人化に関して私的な感想も含めて書くことにしたい.

国立大学法人のモデルとなっている独立行政法人は,1998年に行われた中央省庁等の改革において行政組織のスリム化と多くの問題を抱えた特殊法人の見直しという2つの課題を克服するために導入され,その基になる独立行政法人通則法は1999年にできている.この法律により2001年からこれまで国の研究所等であった様々な機関が次々と独立行政法人となったが,認可法人というどちらかと言うと民間に近い法人であった海洋科学技術センターの独立行政法人への移行に伴う行政組織のスリム化が事の発端である.すなわち,他の国の機関との統合が海洋科学技術センターの法人化の前提となったのである.対象となる国の機関として当初は国立極地研究所が挙げられたが,種々の事情から同じ研究目的の船舶を運航している東京大学海洋研究所の船舶運行部門を統合の対象としたいということになった.

一方,国立大学に関しては1999年の閣議決定で「国立大学の独立行政法人化に関しては大学の自主性を尊重しつつ,大学改革の一環として検討し,2003年までに結論を得る」ということで,当初は大学改革の一環としての法人化が前面に出ていた.しかし,2002年の閣議決定では「競争的な環境の中で世界最高水準の大学を目指す改革を国立大学の法人化などの施策を通じて大学の構造改革を進める」となり,政府の法人改革と類似した理由での大学改革となった.さらに公務員削減の大きな目玉として国立大学の法人化が取り上げられ,先の研究船の移管の話と国立大学の法人化は,その起源が同じ国の行政組織のスリム化という所に結びついてしまった.

このような国からの要請を受けて所内では多くの議論が行われた.まず淡青丸,白鳳丸は全国共同利用の研究船として広くわが国の海洋コミュニティの研究基盤として使われており,その運航・管理がアカデミアとしての大学から離れることにより学術研究の自由度が束縛されることが心配された.この議論の背景には,海洋研究所の設立以来,淡青丸,白鳳丸は海洋研究所における研究活動の大きな原動力であり,所員にはこの両船による共同利用を支えてわが国の海洋研究を発展させてきた自負があった.従って,船の移管は研究所の将来構想とも密接に関係していた.さらに実質的で大きな問題は,研究船を運航している船員組織であった.海洋科学技術センターは調査船を多数運航しているが乗組員は深海潜航艇を除くと全て民間委託であった.一方,海洋研究所の乗組員は船舶職員という国家公務員であり,現職員の身分が移管によって大きく変わることは困難であった.従って,所内ではこれに対して反対していく方針で執行部として文部科学省と折衝を始めた.

文部科学省からは両船の運航日数を,船員を交代することによって年間300日を目標に大きく増やすこと,また,そろそろ代船の時期にあった淡青丸の代船は文部科学省が責任を持って行うことなどが移管の条件として示された.また,両船の運航計画の立案は全国共同利用の研究所である海洋研究所が継続して行うとされた.研究船の運航日数は公務員の休暇日数等の増加により,当初の年間180日程度から160日程度まで減少しており運航日数を増やすためには,乗組員の交代が必要であったがこのための人員増は極めて困難であった.さらに,国立大学の法人化の議論の中で職員は非公務員とすることが2002年の春には決定され,船員の身分は移管によっても他の職員と変わらないことになった.研究船の移管に関しては,学会等によるアカデミアの自由を守る観点からの支援もあったが,東京大学の本部では法人化した後,大学が代船を建造する予算を獲得出来るかという悲観論もあり,また研究所を管轄している文部科学省の学術機関課も省としての方針なのでと言うばかりであった.

このような流れの中で法人化の1年前の2003年の春過ぎには移管は受けざるを得ないが,どのような条件で移管するかの話に移っていった.乗組員の処遇の問題,運航の方法,運航計画の立て方,淡青丸の代船など,文部科学省を間にして海洋科学技術センターと折衝し協定書を交わしたが,結果として法人化後の研究船の運航,乗組員の処遇,あるいは代船に関しても様々な課題を研究所に残すことになったのは残念である.特に淡青丸の代船に関しては,代船に関する予算要求の部署が,これまでの東京大学と文部科学省研究振興局から法人化された海洋研究開発機構と文部科学省研究開発局経由に変わり,海洋研究所が直接働きかけることができなくなったこと,また機構も船齢の長い調査船を持っており,しかも代船ということでの新船建造は行っていなかったように思われ,淡青丸の代船建造はなかなか進展しなかった.担当の海洋地球課は南極観測船の「しらせ」の代船も担当しており,その目処の付いた数年前から本格的な取り組みが始まり,結果的には昨年の東日本大震災の復興に関連づけ,現在,国際トン数1,600トンの代船建造が行われている.淡青丸は1982年に竣工しており今年で船齢は30年になった.代船は東北振興に資する学術研究船ということで船名も変わることが予定されており,東大カラーを受けた淡青丸の名が消えるのはOBとしては複雑な思いである.

法人化によって海洋研究所は研究船の移管を余儀なくされ,その後の柏への移転,気候システム研究センターとの統合など大きな動きがあったが,外的に見れば外部研究資金等の増加によって研究大学として東京大学は一人勝ちしており,現在の大気海洋研究所もそのメリットを大きく受けているように感じる.地方の国立大学の運営を見ていると,法人化に伴う公的資金なども含めた制度改革によってその落差はますます大きくなったように思われるのである.できれば外部からはそのように見られていることを意識しながら,法人化のメリットを最大限生かし海洋科学の中核として,国際的な視野での研究と人材育成で頑張って頂きたいと思う.