東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第5章 研究系と研究センターの活動

5-2 海洋地球システム研究系

5-2-1 海洋物理学部門

海洋大循環,海流変動,水塊形成,大気海洋相互作用,海洋大気擾乱などの観測・実験・理論による定量的理解と力学機構の解明を目指す.海洋大循環分野,海洋大気力学分野,海洋変動力学分野よりなる.

(1)海洋大循環分野

本分野は1962年設置の海洋物理部門を前身とし,2000年の改組により海洋物理学部門・海洋大循環分野となった.1992年4月当時の体制は平啓介教授,川辺正樹助教授,この月に採用された藤尾伸三助手,小口節子・北川庄司両技官であった.1993年7月に柳本大吾が助手に採用され(2007年より助教),1994年3月には小口が退官した.2001年5月に藤尾が海洋環境研究センターの助教授へ異動した(現在は海洋物理学部門・海洋変動力学分野准教授).平は2002年12月に退官し,2004年1月に川辺が教授に昇進した.2006年4月に岡が講師に採用され,2011年4月に准教授へ昇進した.2010年4月には北川が共同利用共同研究推進センターに異動した.川辺は2012年1月に病気のため急逝した.この間,技術補佐員として北野妙子(~1994年),木村典代(~2001年),草郷福子(1997~2010年),福村衣里子(2010年~)が研究室の業務を補佐した.

本分野では長年にわたり北太平洋を主要な対象として,海洋循環の実態と力学,および海洋循環が水塊の形成や分布に果たす役割を主に観測的手法を用いて調べてきた.黒潮の変動特性については故川辺教授が中心となり,官庁が長年蓄積してきた沿岸潮位データや船舶観測データの解析を行ってきた.その結果,黒潮の流路変動が3つの代表的流路とそれらの間の規則的な遷移によって理解できること,黒潮の流速・流量,および九州南のトカラ海峡における黒潮の位置が,日本南岸の流路変動に重要な役割を果たしていることなどを明らかにした.

白鳳丸や淡青丸等を用いた現場観測は本分野の中心的活動であり,特に白鳳丸を用いた大規模観測航海をこの20年間に13度,全国の研究者と共同で実施してきた.これらの船舶観測では1970年代に平が日本に導入して以来続く伝統の係留観測やSOFAR・ALACE・PALACEなどのフロート観測により中・深層の直接測流を実施してきた.また,1980年代後半に導入したCTD観測も,1991・1993年に「世界海洋循環実験(WOCE)」の一環として実施した東経165度線の高精度観測を機に大きくレベルアップした.その他,XCTD,ADCP,LADCP,乱流計など多様な測器を用いるとともに,取得データの解析方法を改良してきた.伊豆小笠原海溝やマリアナ海溝など大深度海溝内の観測へも挑戦し,1992年にマリアナ海溝チャレンジャー海淵にて海底上7mまでのCTD観測に世界で初めて成功したほか,1995年と2001年には同海淵にて係留系による直接測流を実施した.2000年からは人工湧昇の実験にも挑戦した.

1993~2002年度には平を中心に「海洋観測国際協同研究計画(GOOS)」,「縁辺海観測国際共同研究計画(NEAR-GOOS)」,「縁辺海の海況予報のための海洋環境モニタリング」を主導し,関連航海を実施するとともに,その一環として係留系,海底ケーブル,潮位データなど多彩な技術や手法を組み合わせた海流の流量モニタリングのための研究を行った.

1990年代の終わり頃からは川辺,藤尾,柳本を中心に,北太平洋の深層循環の研究に取り組み始めた.大西洋の北部で沈み込んだ深層水は南大洋を経由して南太平洋から西部北太平洋に流入するが,北太平洋における流路はほぼ未解明であった.本分野の研究は,深層循環流が北西太平洋海盆を東西2本の分枝流として北上すること,東側分枝流の一部がハワイ南方の水路を通って北東太平洋海盆に達すること,東西2本の分枝流が本州東方で合流し,アリューシャン列島南方を通って北東太平洋海盆に達することなど,流路を体系的かつ詳細に示すとともに,各分枝流の流量とその変動特性を明らかにした.さらに最近では,深層水が東部北太平洋に達したのち3000mより浅い層に湧昇し,再び南に戻る「オーバーターン」の研究を行ってきた.水温・塩分の鉛直分布などから鉛直拡散係数を推定することにより湧昇が北東太平洋で活発であることなどを明らかにしてきたが,研究活動の中心であった川辺が志半ばで突然の病に倒れたことは痛恨の極みである.

亜熱帯モード水,中央モード水,回帰線水といった表層水塊も岡を中心に,アルゴフロート・衛星観測データの解析や船舶観測により調べられており,各モード水の詳細な形成・輸送・散逸過程,およびそれらの過程にフロントや中規模渦が果たす役割を明らかにしてきたほか,現在は黒潮続流の10年規模変動が各モード水の諸過程に与える影響の解明に取り組んでいる.

教育面では,本分野の教員は理学系研究科・地球惑星科学専攻(2000年の改組までは地球惑星物理学専攻)の担当教員を務めてきたほか,川辺は新領域創成科学研究科・自然環境学専攻の兼担教員も務めてきた.1992年4月以降に博士の学位を取得したのは上原克人,水田元太,岡英太郎,永野憲,小牧加奈絵,加藤史拓,柳本大吾で,加えて岡英太郎,永野憲,小牧加奈絵,加藤史拓,古原聡美,黛健斗が修士号を取得した.なお安藤広二郎は2008年から博士課程に在籍中であったが,川辺の死去に伴い,2012年2月に海洋変動力学分野に異動した.2011年にはNiklas Schneiderが外国人客員教員を務めた.1997年には郭新宇,2001~2002年には魚再善がCOE研究員として,また1993~1994年には宋学家,1997~1998年には灘井章嗣が訪問研究員として在籍した.

2011年度の在籍者はM1:[理]桂将太である.

(2)海洋大気力学分野

本分野は1966年設置の海洋気象部門を前身とし,2000年の改組により海洋物理学部門海洋大気力学分野となった.1992年4月当時の体制は浅井冨雄教授,木村龍治助教授,中村晃三助手,坪木和久助手,石川浩治技官,三澤信彦技官であった.1993年3月に浅井が退官し,1994年7月には木村が教授に昇任した.1995年4月に新野宏が助教授に採用され,1994年4月には坪木が名古屋大学大気水圏研究所に転出した.木村は2003年3月に退官し,同年10月に新野が教授に昇任した.続いて2004年12月には伊賀啓太助教授が採用され,2005年3月には石川と三澤が退官した.2007年6月には中村が海洋研究開発機構へ転出し,2009年4月には柳瀬亘が助教に採用された.この間,外国人客員教員としてFrederic Y. Moulinが,日本学術振興会外国人特別研究員としてFrederic Y. MoulinとMario M. Migliettaが,同会特別研究員として,伊賀啓太が,特任研究員として野田暁,野口尚史,中田隆,伊藤純至が,また技術補佐員・事務補佐員・学術支援職員として武田(平田)理沙,中村満寿子,小笠原恵子,金子美絵,内海三和子,中島明子,尾澤由樹子,西郷由里子,三澤信彦,長谷川英子,日比野英美が研究室の研究教育の発展に貢献した.

本分野では長年にわたり,大気・海洋中の擾乱と大気海洋の相互作用およびこれらに関わる基礎的な物理過程を地球流体力学的視点から,力学理論,室内実験,数値実験,観測,データ解析を用いて明らかにしてきた.最近20年間は,大気・海洋中の対流や乱流・渦・微細構造の力学,メソスケール低気圧の構造と発達機構,積乱雲に伴う激しい現象,台風と海洋の相互作用などの研究を行ってきている.

木村,新野,中村は,地表面から自由大気中への熱・水蒸気・運動量の輸送を通して,温度・湿度・風などの人間や生物の生活環境を決めるだけでなく,台風や低気圧ひいては大規模な気候にも大きな影響を与えている大気境界層の水平対流や乱流構造及び境界層雲の研究を行ってきた.中西幹郎(大学院生)は新野とともに,大気境界層の乱流構造を忠実に再現するLarge Eddy Simulationモデルを開発し,このモデルで得られたデータベースに基づき,高精度の1次元乱流境界層モデル(MYNNモデル)を開発した.MYNNモデルは業務実験の後,2007年春から気象庁の現業メソスケールモデル(MSM)に採用され,日々の天気予報に利用されているほか,IPCC第5次評価報告書に向けて計算が進められている大気海洋結合モデルMIROC5に組み込まれて気候予測の改善に貢献し,また世界的に利用されている米国の気象研究コミュニティモデルWRFにも組み込まれている.伊藤純至(大学院生)と新野は,日中の沙漠や火星でしばしば観測される塵旋風と呼ばれる大気境界層の強い渦の生成機構を明らかにした.伊賀は波の共鳴機構による流れの不安定性の解明を行うとともに,木村との研究で中規模細胞状対流のメカニズムに関連の深い泡対流の組織化のメカニズムを解明した.

台風と海洋の相互作用は,波浪の砕波やこれに伴う大気・海洋の乱流状態の変化など多くの未解決の過程を含んでいる.これらの過程は,台風の発達や進路の予報にも大きく影響するほか,湧昇と混合による栄養塩の増加と植物プランクトンのブルーミングなども支配する.鈴木真一(大学院生)は木村・新野とともに台風に対する海洋の応答モデルを構築し,表面水温低下に及ぼす乱流混合と湧昇の相対的な寄与の移動速度に対する依存性を明らかにした.SOLAS(Surface Ocean Lower Atmosphere Study)に関わる科研費特定領域研究のプロジェクト(WPASS)では,中田隆(特任研究員)がこのモデルにMYNNモデルを組み込んで高度化した.このモデルにはさらに北海道大学の山中康裕と柴野良太によって生態系モデルが組み込まれ,台風通過によるブルーミングの移動速度依存性の解明へとつながった.

ポーラーロウや梅雨前線上の小低気圧などの構造と発達機構については,傅剛,柳瀬亘,田上浩孝(いずれも大学院生)や浅井,坪木,新野が事例解析,不安定性理論,積雲対流を解像する理想化した数値実験により一層取り組み,明らかにしてきている.強い積乱雲に伴う竜巻については,超高解像度の数値実験によりスーパーセル型ストームから竜巻が発生する過程の再現に成功し,その発生に突風前線の鉛直渦度の存在が重要であることを明らかにした(野田暁(大学院生)と新野).また,気象研究所の益子渉(外来研究員)と新野は,2006年の台風13号に伴って宮崎県で発生した竜巻の再現に成功し,竜巻の発生に下降気流による収束が重要な役割を演じていることを明らかにした.

中田隆(大学院生)は木村・新野とともに,高層観測データを解析し,大気中に普遍的に存在する数百mの鉛直スケールの微細構造を見つけた.海洋においても水平貫入現象や鉛直微細構造は水塊の混合や鉛直密度成層の形成に重要な役割を果たしている.野口尚史(大学院生)と新野は,室内実験と数値実験を用いて拡散型の二重拡散対流による層構造の形成と発達機構を明らかにした.またこの2名は,海洋底科学部門の中村恭之助教・辻健(大学院生)とともに,反射法地震探査を利用した海水中の微細構造を観測するseismic oceanographyの手法を用いて,淡青丸の航海(KT―05―21,KT―06―20)を行い,黒潮続流域の微細構造を明らかにするとともに,四国沖の黒潮域に黒潮を横切って水平に数十kmも続く厚さ数十m程度の層構造を発見した.

これらの物理過程は現在も多くの未解決の課題を抱えており,またいずれも大気・海洋の諸現象の予測や生態系の変動の理解にとっても重要な過程であるため,今後も継続して研究を行っていく必要がある.

なお教育面では,本分野の教員は理学系研究科・地球惑星科学専攻(2000年の改組までは地球惑星物理学専攻)の担当教員を務めてきた.1992年4月以降に博士の学位を取得したのは丁亨斌,金海東,伊賀啓太,中西幹郎,傅剛,鈴木真一,中田隆,野田暁,柳瀬亘,野口尚史,田上浩孝,雪本真治,伊藤純至,田口彰一,鈴木靖*,加藤輝之*,露木義*,川島正行,瀬古弘*,森厚*,益子渉*,和田章義*の22名(:論文博士)で,修士の学位は呉之翔,上野義和,川島正行,鈴木真一,渡辺毅,松丸圭一,豊田英司,野口尚史,野田暁,長谷江里子,柳瀬亘,金井秀元,結城陽介,吉田優,田上浩孝,田中亮,杉本智里,大縄将史,雪本真治,小笠原麻喜,古川裕貴,西山裕子,軸屋陽平,吉原香織,梶原佑介,齋藤洋一,杉本裕之,福谷陽,山口春季,井上貴子,武田一孝,夫馬康仁,宮城和明,伊藤淳二,横田祥,吉村淳の36名が取得した.

2011年度の在籍者はD1:[理]武田一孝,M2:[理]横田祥,吉村淳,M1:[理]大城久尚,瀬戸息吹,塚本暢,渡邉俊一,特任研究員:伊藤純至である.

(3)海洋変動力学分野

本分野は2010年4月に先端海洋システム研究センターが廃止されたことに伴い,海洋システム計測分野の海洋物理学を専門とする教員によって発足した.発足時の構成は,藤尾伸三准教授および田中潔助教である.2011年9月に,田中は国際沿岸海洋研究センター沿岸生態分野の准教授として転出した.発足以降,事務補佐員として櫻井美香が在籍している.

本分野では,観測や数値実験を行うことで海洋における変動現象の実態を明らかにし,その力学的な理解の把握を行っている.藤尾は主に深層循環について研究を進めている.係留流速計による長期観測データを解析し,深層に卓越する数カ月周期の流速変動の空間的な伝播や,日本海溝等の斜面上を流れる深層流の特徴を調べている.田中は沿岸における変動に注目し,駿河湾において船舶による学際的で詳細な観測を行い,また,数値シミュレーションによって湾内の海洋循環を再現することで,流れ藻やサクラエビなどの分布機構を明らかにした.

大学院の担当としては,藤尾は新領域創成科学研究科環境学系自然環境学専攻の協力教員である.

2011年度の在籍者はD3:[新]安藤広二郎(2012年2月に海洋大循環分野から移籍)である.