東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第5章 研究系と研究センターの活動

5-2 海洋地球システム研究系

5-2-2 海洋化学部門

先端的分析手法の開発・応用を進め,大気・海洋・海洋底間の生物地球化学的物質循環を,幅広い時空間スケールにわたって解明する.海洋無機化学分野,生元素動態分野,大気海洋分析化学分野よりなる.

(1)海洋無機化学分野

本研究室のルーツは1964年に設置された海洋無機化学部門である.2000年度より名称が海洋化学部門海洋無機化学分野となった.1992年4月の教員は野崎義行教授,児玉幸雄助手,蒲生俊敬助手,石塚明男助手の4名で,同年12月に蒲生が助教授に昇任し,翌年4月に天川裕史が助手に着任した.児玉は1996年3月に,また石塚は2000年3月に定年退職した.蒲生は2000年4月に北海道大学教授に昇任した.2001年1月に天川が講師に昇任,また同年6月に小畑元が助手に採用された.天川は2002年4月に東京都立大学助教授に昇任した.2003年1月に野崎が急逝,同年4月に小畑が講師に昇任し,また同年11月に蒲生が北大より異動して教授に就任した.2006年4月に中山典子が助手(2007年4月より助教)に採用され,2007年4月に小畑が准教授に昇任した.なお,西村和彦が2000年4月~2003年3月にかけて技官を務めた.また博士研究員として,時枝隆之・小畑元・中山典子・尾崎宏和・土岐知弘・本郷やよい・田副博文・大久保綾子が在籍した.その他,技術補佐員として堤眞・山西霜野子,事務補佐員として長谷川和子・金子美絵・芝尚子・小池早苗の各氏が在職した(山西と小池は現職).

本分野は設置以来一貫して,全国共同利用の学術研究船(白鳳丸・淡青丸)や潜水船などを利用したフィールド調査研究を主体に,海洋における様々な化学現象の実験的解明を行ってきた.この20年間では,KH―92―4(南西太平洋),KH―94―3(北西太平洋),KH―96―5(東部インド洋),KH―98―3(日本海),KH―00―3(北太平洋),KH―04―5(南太平洋・南極海),KH―09―5(インド洋・南極海)の各白鳳丸航海を主宰し,その他多くの白鳳丸・淡青丸等による航海に参加して研究を推進した.その概略は以下の通りである.

野崎は海洋に存在する微量の天然放射性核種(230Th,231Pa,228Ra,227Acなど)に関する研究を先導した.1991~1993年に実施された文部省重点領域研究「オーシャンフラックス―地球圏・生物圏におけるその役割」(研究代表者:山形大学教授酒井均)の中核を担い,国際的にはJGOFS計画と強く連携しながら,独創性の高い観測研究を展開した.例えば日本海溝において時系列セジメントトラップや大量採水器を用いて採取した粒子物質,海水,および海底堆積物中の天然放射性核種データを総合的に解析し,沈降粒子による物質フラックス研究を大きく進展させた.また天川とともにICP質量分析計・表面電離型同位体比質量分析計を駆使し,希土類元素濃度パターンとNdの同位体比などをトレーサーとする海洋循環の研究で世界の最前線を開拓した.1997年に公表されたNozakiの周期表は,北太平洋におけるRuを除くすべての元素の鉛直分布を網羅する画期的なもので,2001年改訂版は国内外の海洋化学の教科書や事典に必ずといってよいほど引用され,活用されている.

蒲生は国際InterRidge計画やKAIKO計画と連携し,深海底の熱水・冷湧水によるオーシャンフラックス研究を推進した.インド洋において本邦初の本格的中央海嶺探査に着手し,熱水プルームの詳細マッピングを経て,インド洋で最初のブラックスモーカー熱水を発見,その化学的特徴を明らかにした.また,現場での連続化学分析のための技術開発を進め,高感度自動マンガン分析計GAMOSを実用化,ビスマルク海マヌス海盆やアデン湾の調査に活用した.その一方で,ミニ海洋・日本海の化学トレーサー(14C,3H,O2,222Rn,CH4,etc.)研究を継続し,底層水の溶存O2濃度が過去30年間に約10%減少したことを見出すなど先駆的成果を挙げた.また,中山と共同で海洋の溶存気体の研究を進め,日本海やフィリピン海における溶存O2のδ18Oと同位体分別係数を初めて明らかにした.国際共同GEOTRACES(海洋の微量元素・同位体による生物地球化学的研究)計画に日本代表として参画し,白鳳丸を用いたインド洋航海(2009~2010年)でGEOTRACES大洋縦断観測の口火をきった.

小畑は海水中の微量金属元素の高感度分析法を開発し,沿岸域,縁辺海,外洋域など様々な海域において,Fe,Mn,Al,In,Ce,Pt,Ag等の分布と循環過程を解明した.天川と共同で海水中のCe同位体比の高精度測定法を開発し,陸起源微量元素の有用なトレーサーとなることを示した.また気候システム研究系の岡顕講師と共同で,海洋における希土類元素分布のモデリング研究にも着手した.海洋生物生産の制限因子となる海水中の鉄について,採水法・分析法の国際相互検定に参加するとともに,白鳳丸における微量金属元素研究に必須のクリーン採水法を確立した.さらにGEOTRACES計画には標準化・相互検定委員会の委員として参画し,試料採取・前処理の標準プロトコール作成に尽力した.

大学院教育に関しては,本分野では教授・准教授(助教授)が理学系研究科化学専攻の担当を主務とし,また農学生命科学研究科水圏生物科学専攻を兼務してきた.1992年以後,本研究室に所属した大学院生は,理学系研究科化学専攻については,博士課程修了者は,張勁,岡村慶,宮田佳樹,アリボ・ディア・ソット,張燕,本郷やよい,田副博文,修士課程修了者は,宮田佳樹,井田雅也,レルケ・ドーテ,アリボ・ディア・ソット,間仲利樹,張燕,本郷やよい,土岐知弘,吉沢明子,田副博文,フェレ・サントス・アントニー,柴田直弥,小倉健,金泰辰,岡部宣章,脇山真である.農学生命科学研究科水圏生物科学専攻については,博士課程修了者は,大久保綾子,川口慎介,就職のために博士課程中途退学者は山本恵幸,土井崇史,修士課程修了者は,大久保綾子,原慈子,成田拓である.また小畑准教授は大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻を兼務し,修士課程修了者は,寺西源太,馬瀬輝,鈴木麻彩実である.

2011年度の在籍者はD1:[理]金泰辰(韓国),M2:[理]岡部宣章,脇山真,[新]鈴木麻彩実,M1:[理]高橋沙珠子,研究実習生:秋谷和広である.

(2)生元素動態分野

本分野は1967年に設置された海洋生化学部門を前身とし,2000年の改組に伴い現在の分野名となった.1992年4月当時のスタッフは小池勲夫教授,大森正之助教授,才野敏郎助手,神田穣太助手であった.1992年4月に大森が本学教養学部教授に昇任し,1993年1月に後任として才野が助教授に昇任した.1993年7月に小川浩史が助手に就任した.1994年4月には神田が静岡大学助教授として転出し,後任の助手として宮島利宏が就任した.続く1994年12月には才野が名古屋大学教授として転出し,後任の助教授として永田俊が就任した.2000年には永田が京都大学教授として転出し,2001年6月に後任として小川が助教授に昇任した.2007年3月小池の定年退職に伴い,翌2008年4月に永田が教授に就任した.

本分野では海洋における生元素(生物を構成する炭素,窒素,リンなどの親生物元素)の循環を,とくに生物過程との相互作用という観点から解明することを目的として研究を進めてきた.学術研究船白鳳丸・淡青丸等を用いた沿岸域や外洋域における観測研究や,サンゴ礁や海草場の調査,また,培養系を用いた実験的な研究等を幅広く展開している.

1990年代半ばまでの研究内容については,概ね『海洋研究所30年史』に記載されているが,このうち「海洋におけるサブミクロン粒子の特性に関する研究」は小池らによって大きく発展させられた研究トピックである.この研究の推進の結果,サブミクロンサイズの微粒子から可視的サイズのマリンスノーまでを含めた海水中の有機凝集物の全体的な動態を,それらの生成・分解に係わる生物過程を含めて包括的に把握するための新たな概念枠組みが構築された.一方,小川の着任に伴い,高温触媒酸化法による溶存有機物の精密分析手法が導入されたことで,海洋における溶存有機炭素・窒素の分布や動態に関する研究が大きく発展した.この研究によりそれまで大きな謎とされていた,海洋における難分解性溶存有機物の生成機構の一端が明らかにされ,国際的に大きな注目を集めた.また,広範な海域における溶存有機物の分布特性に関する数々の新知見が得られている.ところで,上述したサブミクロン粒子や溶存有機物の海洋における分布や動態は,海水中の微生物群集の代謝活動による強い支配を受けている.永田らはこの有機物と微生物の間の相互作用の解明を通して,海洋物質循環の支配機構の理解を深化させることを目指して研究を進めている.これまで南北太平洋や極域の様々な海域において,微生物群集の全深度分布を観測する研究を世界に先駆けて大規模に展開し,有機物の鉛直輸送(生物ポンプ)や中深層における有機炭素無機化の規模や分布パターンを新たな切り口から解明することに成功している.また,各種放射性同位体トレーサーを用いることで,物質循環の駆動に関わる微生物群集の代謝活性を測定する種々の新手法の開発を行った.近年は微生物群集の有機物代謝制御機構を分子レベルで解明する研究にも着手している.

安定同位体比質量分析計を用いた各態有機物や無機態炭素・窒素化合物の安定同位体比の精密測定手法は,本分野における基本的な研究ツールのひとつとして,その草創期以来,発展的に継承されている.過去10年間は宮島が中心となり,東京湾の河口域,あるいは八重山諸島や東南アジアの流域やサンゴ礁において,各種安定同位体比に基づく生物地球化学的循環の査定や生態系の健全性評価に関する研究を推進している.また,質量分析計の共同利用の促進を通して,生態学や生物資源学の分野における安定同位体法の適用に関する指導や普及にも貢献している.

1992年4月以降,博士の学位を取得したのは池田穣,山崎彰子,長谷川徹,福田(宗林)留美,福田秀樹,田中義幸,梅澤有,田中泰章,杉本久賀子,槙洸,内宮万里央である.修士の学位を取得したのは李芝旺,福田(宗林)留美,福田秀樹,雨谷幸郎,荒田直,梅澤有,今田惠,伊藤美央子,竹内謙介,足立昌則,松山為時,久保亜希子,佐藤妙子,田中泰章,田島義史,坪井良恵,日佐戸友美,黒田洸輔,藤井堯典,前澤琢也,山田洋輔である.学振特別研究員,研究機関研究員,特任研究員,海洋科学特定共同研究員などとして,今井圭理,福田秀樹,梅澤有,田中義幸,田中泰章,柴田晃,茂手木千晶,小林由紀,碓井敏宏,吉山浩平,楊燕輝,塩崎拓平,多田雄哉,森本直子,内宮万里央らが,外国人特別研究員として,王江涛,李道季,Benoit Thibodeau,Alex Wyattらが在籍した.

2011年度の在籍者はD3:[新]内宮万里央,D1:[新]呂佳蓉(台湾),M2:[理]山田洋輔,[新]前澤琢也,M1:[理]片山僚介,日本学術振興会外国人特別研究員:アレックス・ワヤット(オーストラリア),ブノア・チボドー(カナダ),特任研究員:碓井敏宏,森本直子,楊燕輝(中国)である.

(3)大気海洋分析化学分野

本分野は2010年4月に先端海洋システム研究センターが廃止されたことに伴い,海洋システム計測分野の海洋化学を専門とする教員によって発足した.発足時の構成は佐野有司教授と高畑直人助教,天川裕史研究員であった.2011年9月に天川は国立台湾大学に転出した.事務補佐員として櫻井美香が研究室の業務を補佐した.

本分野では2000年4月に海洋環境研究センターが設置されて以来,地球内部の物質から地球外物質までを研究対象とし地球を1つのシステムとしてとらえ,同位体化学の側面から物質循環過程や地球環境に関する研究を行ってきた.最新の技術や高精度の計測機器類を導入することで高密度観測や高感度分析等の先端的解析手法を開発し,希ガス同位体の高精度分析や,二次元高分解能二次イオン質量分析計NanoSIMSを用いたミクロン領域での微量元素分析を主な研究手法としている.これらの研究を行うために,白鳳丸や淡青丸などの研究船を用いた観測や試料採取を行い,研究所内外の研究者と共同で研究を進めた.2004年に本分野の前身である先端海洋システム研究センターに設置されたNanoSIMSは,2010年に設立された共同利用共同研究推進センターに管理が移されたが,その運営や操作は本分野が引き続き行い,国内外の研究者との共同研究を通して海洋化学の枠にとらわれない幅広い分野で研究を進めている.この2年間は2010年3月のキャンパス移転と2011年3月の東日本大震災により分析装置の運転時間が減少したが,地震や原発事故の影響を調査する研究航海は試料採取を依頼したものも含めると2011年だけで7つにのぼり,他に通常の2つの航海に参加した.

本分野が設置されて以降2年間の主な研究テーマとして,海洋深層循環,海洋物質循環,古海洋環境復元,惑星海洋学の創成が挙げられる.本分野では各種化学トレーサーを活用して海洋の環境変動を実測することを試みてきたが,化学トレーサーのうち特に質量数3のヘリウム(3He)は地球深部の始原的なマントル物質に極めて敏感な同位体であり,海洋深層循環を調べるための良いトレーサーとなる.2009~2010年に行われた中央インド洋の縦断航海で採取した深層海水には,中央海嶺から放出されたと考えられるマントル由来のヘリウムが明瞭に観察され,さらに別の化学トレーサーとよい相関を示したことから熱水由来の成分を見積もる上でヘリウムが有効なトレーサーとなる可能性を示した.また東部アラビア海ではアデン湾に起源を持つと考えられるマントルヘリウムの検出にも成功し,調査海域の深層海水の流動を推定する上でヘリウムが有効であることを示した.

2011年3月にマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が起こり甚大な被害をもたらしたが,海洋深層への影響の調査に着手した.地震発生直後から震源域付近の深層海水を採取しヘリウムをはじめとする化学トレーサーを分析して,地震の前後で深海の環境に変化が起きていることを確かめた.また福島第一原子力発電所の事故により,陸上だけでなく海洋にも大量の放射性物質が放出されたが,その影響を調べるための緊急調査を行った.

惑星海洋学の研究としては,火星の表層環境を復元する目的で火星の水の起源と進化に関する研究を行った.年代の異なる数種類の火星隕石を用いて,その水素含有量と水素同位体比を分析することで,その水の起源や取り込まれた環境について推定した.これは過去に存在したと考えられる火星の海を考える上で重要であり,太古代の地球の海と比較し研究する上でも重要な知見となる.

教育面では,大学院理学系研究科の地球惑星科学専攻と新領域創成科学研究科の自然環境学専攻(佐野は2011年3月まで)に属し,地球惑星科学に関する総合的な知識と複雑な地球惑星システムに対する探求能力を持った人材の育成にあたっている.

2010年4月以降,修士の学位を取得したのは太田祥宏である.また岡田吉弘,明星邦弘,相場友里恵,藤谷渉らが訪問して研究を行った.外国人研究員としてEmilie Roulleauがいる.その他多くの研究者が本分野において共同研究を行った.

2011年度の在籍者はM2:[理]太田祥宏,M1:[理]鹿児島渉悟,原隆広,日本学術振興会外国人特別研究員:Emilie Roulleau(フランス)である.