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国際沿岸海洋研究センター新棟完成!

岩手県大槌町の国際沿岸海洋研究センターは、平成23年3月に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けました。平成29年から旧敷地よりも数百メートル高台に新たな研究実験棟・共同研究員宿舎棟(宿泊棟)の建設を進めてきましたが、平成30年春にようやく完成に至り、移転が完了しました。

斜面を利用して建設された3階建ての研究実験棟

新棟完成に寄せて-イーハトーヴの研究センター再開

(2018年10月発行 Ocean Breeze第29号から)

津田 敦 大気海洋研究所 所長・教授

やっと国際沿岸海洋研究センターは研究棟、宿舎棟の移転・開所を迎えることが出来ました。7年前の震災当初、我々は何から手を付けてよいのか全く分からない状態でした。はじめに背中を押していただいたのは、濱田純一前総長と東大本部でした。震災から2か月という短い間に、電気、水道等の復旧をしていただき旧研究棟の3階部分を使えるようにしていただきました。「お前らはお前らのやるべきことをやれ」と、本当に背中を押していただいた気がします。その後、大槌町からは、移転に伴う数々の調整、文科省からは復興に資する研究をするための「東北マリンサイエンス拠点形成事業」の立ち上げにご尽力いただきました。また、赤浜地区の住民の方々の、理解とご支援がなければ、今日を迎えることはなかったと思います。

国際沿岸海洋研究センターは1973年設置の大槌臨海研究センターを前身とし,2003年の改組により現在の形となりました。設立以来、年間2000人日を超える共同利用研究者を受け入れ、幅広い研究分野において、我が国最大規模の臨海施設として沿岸海洋研究の拠点として機能してきました。多くの試資料は津波により流出しましたが、印刷物やデータとして残された論文や資料は、震災による影響と回復過程を科学的に解明する基盤となりました。その成果は多くの特集号として出版されています。

震災から7年が経ちました。個人として何もできなかったという後悔の念は消えることはありませんが、それに代わって河村センター長らは前を向き、大槌や三陸とともに成長する道を模索しています。我々は震災以降の議論から3つの柱を考えました。
1. 地域とともに歩むこと
2. 人が交流する場所であること
3. 世界を牽引するサイエンスを生むこと

これらのコンセプトは、建物の設計にも反映されていますし、社会科学研究所と共同で行う、「海と希望の学校in三陸」も大きな一歩だと思います。また、最もシンボリックなものは、大小島真木さんの研究棟ロビー天井を飾る天井画と施設見学に合わせて制作していただいた須原三加さんのバルーンアートです。大小島さん、須原さんには、作品の制作だけでなく、2日間にわたり、講演会、ワークショップ、バルーンリリースなど、イベントを盛り上げる数々の活動をしていただき、「地域とともに歩む」、「人が交流する」を強く発信していただきました。

エントランスホールの天井に描かれた約8メートルにもおよぶ大作大小島真木氏制作「Archipelago of Life 生命のアーキペラゴ」

大気海洋研究所出身のバルーンアーティスト、須原三加氏による作品アイナメ、クジラ、カモメで大槌周辺の海を表現(2018年7月20日、新棟完成記念式典、施設見学会にて)

祝賀会のご挨拶の中で濱田純一前総長は、「震災当時、三陸地域の研究・教育施設が撤退を検討する中、東京大学はこの地でふんばり、地域とともに復興に向けて歩む」といち早く表明されたことをお話しされました。我々は、日々復旧や復興と格闘するなか、震災当時の想いが少し希薄になっていたこと、さらには、今の我々がいかに多くの方々に支えられてきたかを、濱田先生や本田敏秋遠野市長のお話を伺い再認識しました。

宮沢賢治はイーハトーヴ(岩手県)に関してこんなことを書き残しています。「そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。罪やかなしみさえそこでは聖くきれいにかがやいている。」(「注文の多い料理店」広告文より)。大槌町ではまだ多くの方が行方不明です。また、震災前の静かな生活を取り戻せない方々も多くいらっしゃることと思います。我々微力ではありますが、地域とともに歩み世界に誇れる海洋研究を発展させることをお誓いするとともに、海洋学を超えて、広い学問分野の方々に利用していただき、学術と地域が連携する拠点となりますよう皆様のお力添えをお願い申し上げます。