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8世紀の奈良平城京における重金属汚染

2014年9月5日

川幡 穂高(東京大学大気海洋研究所)

サンプル

平城京は奈良時代の日本の首都(710~784年)で、唐の都「長安」にならい建造されたとされる。サイズは南北東西それぞれ約5km、人口は10~20万人と推定され、シルクロードの終着点でもある国際的な大都会であった。人間活動も活発で、律令制度に伴う物資の輸送も増え、寺院も沢山建てられた。 UNESCO世界遺産にも登録されている奈良東大寺金堂(大仏殿)は長らく世界最大の木造建築物として有名であった。

特に「大仏さま」と呼ばれる東大寺盧舎那仏像は偉容を誇っていた。現在の「大仏さま」は銅の錆である緑青色であるが、当時は金ぴかであった。光り輝いた大仏を作るためには,金を大量の水銀に溶かし(アマルガムと呼ばれる)、それを塗布して、最終的に火であぶって水銀を蒸発させ、金メッキとした。平城京から平安京への遷都はこの水銀汚染が、東大寺裏の若草山に木が生えないのは銅汚染が原因であるとの指摘があった。そこで、当時の大都会の重金属汚染を調べるために、古土壌の精密化学分析を行った。その結果、水銀や銅汚染は限定的で、現代の環境基準に照らして問題とならないことがわかった。この事実は、平城京から他へ遷都した原因が重金属汚染でなかったことが示唆された。一方、鉛含有量は、平城宮および平城京から十km南の地点でも環境基準値を超えていた。鉛同位体は起源を推定する際に「指紋」となるが、私達の分析値により、鉛は「大仏さま」への銅の主な供給先である山口県秋吉台の長登鉱山に由来することがわかった。鉛の用途については、さまざまな可能性があるが、現時点では特定できていない。

日本の「古代大量消費型社会」では、大規模古墳の造営、大量の埴輪の製作、度重なる遷都が特徴である。平城京は最後の「古代大量消費型社会」であったものの、古墳建設の抑制、火葬の広まり、森林伐採の抑制などを通じて、「エコシティ」への変換点の役割も演じたと考えられる。

なお、この研究成果は理学部地球惑星環境学科の卒業研究で、日本の地球惑星科学の50学会が参加する(公)日本地球惑星科学連合の新雑誌「Progress in Earth and Planetary Science(PEPS)」に掲載されるとともに、昨年研究概要は朝日新聞に取り上げられた。

発表論文:

Heavy metal pollution in Ancient Nara, Japan, during the 8th century
8世紀の奈良平城京における重金属汚染

By KAWAHATA, H., Yamashita, S., Yamaoka, K., Okai, T., Shimoda, G., and Imai, N.
川幡穂高,山下宗佑,山岡香子,岡井貴司,下田 玄,今井 登

Hodaka KAWAHATA
Corresponding author
Email: kawahataaori.u-tokyo.ac.jp       *メールアドレスの「」は「@」に変換して下さい

Progress in Earth and Planetary Science 2014, 1:15   doi:10.1186/2197-4284-1-15
http://www.progearthplanetsci.com/content/1/1/15

*Progress in Earth and Planetary Science(PEPS)は、日本地球惑星科学連合(JpGU,http://www.jpgu.org)が運営する完全「オープンアクセス電子ジャーナル」です。読者が無料で自由に閲覧できます。

資料:

第1図.「奈良の大仏」と呼ばれる東大寺盧舎那仏像
 

第2図.平城京と試料採取地点
 

第3図.年代別の古土壌中の水銀(Hg)、銅(Cu)、鉛(Pb)の含有量。平城京および周辺地域における8世紀初期(平城京の南十kmの朱雀大路脇側溝)、8世紀中期(東大寺大仏殿区画隣接)、8世紀中期(平城宮朱雀門脇)、8世紀後期(平城京の南十kmの朱雀大路脇側溝)、19-20世紀(平城宮朱雀門脇)。

研究トピックス