はじめに−サンゴとはどういう生物か?

サンゴ礁という言葉を聞いたことのある人は多いと思いますが、サンゴというのはどのような生物であるか詳しい人は少ないと思います。サンゴは刺胞動物門に属するイソギンチャクやヒドロ虫のなかまです。厳密にいうと、刺胞動物で石灰質や角質の骨格を持つものを総称してサンゴと呼びます。サンゴ礁を構成するサンゴの多くは、花虫綱に属し、イソギンチャクと近縁の生物です。殆どのサンゴは群体を作っています。図1はシナキクメイシというサンゴの石灰質の骨格です。多数の穴(数ミリ程度)があり、それぞれの穴は放射状の石灰質の板で仕切られているのがわかると思います。これらの個々の穴に一匹ずつイソギンチャクが棲んでいると考えれば、サンゴという生物のイメージが掴み易いと思います。

 図1 サンゴの骨格写真

 図2 サンゴ礁に棲む魚。このテングカワハギという魚は、尖った口吻を用いてサンゴの隙間に棲む小動物を捕食する。

 図3 白化しかかっているサンゴ。下部ではまだ共生藻が残っており、褐色を呈しているが、上部は白化している。白化した状態が続くと、サンゴは死に至る。

サンゴ礁は熱帯、亜熱帯の水の透明な浅海に広く分布しています。造礁サンゴは次の2つの点で、海洋の生態系にとって重要であると考えられます。(1)骨格形成に際して石灰化(炭酸カルシウム結晶の形成)を行い、また共生している褐虫藻が光合成を行うので、海洋の炭素循環に大きなインパクトを持っている。(2)多くの動物達に住処と栄養を提供し、多様な生物種からなる生態系を築く基になっている。こうした重要性にもかかわらず、造礁サンゴは大変脆弱な生物です。近年サンゴ礁面積は減少し続けており、サンゴ礁生態系の将来は危ぶまれています。造礁サンゴの生存を脅かす要因としては、海洋汚染、天敵(オニヒトデなど)の増加の他に、海水温の上昇などを原因とする共生藻の離脱(白化、図3)があげられます。

 渡辺研究室の研究テーマ

 渡辺(俊)研究室では、造礁サンゴの成長と生殖に関与する遺伝子の同定と解析を目指して、以下にあげる3つの研究を行っています。

(1)骨格に含まれるタンパク質の解析

造礁サンゴの骨格は主に炭酸カルシウムの結晶からなっていますが、微量成分としてタンパク質などの有機物も含んでいます。タンパク質などの有機物はカルシウム結晶の形成と成長(石灰化)を調節していると考えられています。我々は、石灰化を調節する因子を同定する目的で、骨格に含まれるタンパク質の解析を行っています。その結果、アザミサンゴの骨格に含まれる主要タンパク質である53 kDaタンパク質のアミノ酸配列を、世界に先駆けて明らかにすることが出来ました。

 図4 アザミサンゴ骨格に含まれる53 kDaタンパク質の部分アミノ酸配列。赤字はシステイン残基を、青字は糖鎖が付加すると思われるアスパラギン残基を示す。
(2)サンゴ卵に含まれる可溶性タンパク質の遺伝子の単離

近年、海洋環境の変動や環境ホルモンによる海洋動物の性分化や性成熟への影響が問題となっています。魚類などでは、卵黄タンパク質(ビテロジェニン)遺伝子の発現が、性分化や性成熟の有効な指標としてよく用いられていますが、サンゴ類ではこのような遺伝子プローブがまだ存在しません。そこで我々は、造礁サンゴの一種シナキクメイシの卵タンパク質の同定とcDNAクローニングを行うことにしました。卵中には2種の主要な可溶性タンパク質が認められたので、そのうちの大きい方(約80 kDa)に注目し、アミノ酸配列の解析を行いました。現在までに、N-末端の配列および内部配列1つを得ています。現在、これらの配列をもとに設計した縮重プライマーを用いて逆転者PCRを行い、cDNAクローニングを目指しています。cDNAクローンが得られたら、卵の成長とこの遺伝子の発現の相関についても調べ、またこのタンパク質を産生し卵に栄養を供給している細胞の同定を行いたいと考えています。

 図5 産卵するシナキクメイシ。水面に浮かぶ赤色のものが卵。

 図6 Cyt bとND2の間には約700 bpの非コード領域が存在する。八重山諸島で採取されたアザミサンゴの一部にはこの領域内に約300bpの欠失(Del)を持つものが見られる。
(3)地理的に離れたアザミサンゴ集団間の遺伝的類縁関係に関する研究

サンゴは成体としては固着生活を送りますが、幼生期には浮遊生活を送ります。微少なサンゴ幼生がどの程度の距離を渡ることができるかを実測するのは困難ですが、地理的に離れたサンゴ集団間の遺伝子レベルでの違いを調べることにより、幼生の分散の程度に関する基礎的な知見を得られる可能性があります。こうした目的で、沖縄本島付近および八重山諸島で採取したアザミサンゴのミトコンドリアDNA配列の比較を行っています。最近、Cyt bとND2という2つの遺伝子に挟まれた非コード領域において、八重山で採取した個体の一部に約300 bpの欠失が見られることを発見しました。沖縄本島付近の個体からは未だこの欠失は見い出されていません。今後、この欠失を持つ個体の地理的分布を詳しく調べて、サンゴ幼生の分散に関する情報を得たいと考えています。

5 March, 2002