地球における最初の生命は海洋の原核生物=細菌として誕生した。38億年前に遡るこのイベントは、細菌にとって外界環境に対する適応的な進化の始まりであった。特に細胞膜を介した物質交換やエネルギー変換過程は、生命活動の維持に直接かかわるため、細菌の系統進化、すなわち始原的な細菌が誕生した太古始から現在に至る細菌の分化の過程と密接な関係がある。また、細菌の進化のもう一つの原動力として、他生物との相互作用がある。多くの細菌が海産動植物の常在菌として存在し、あるものは宿主特異性の高い関係を築いている。特に他生物との相利的共生関係は両者の遺伝子に交換・転移・欠損などの動的な変化をもたらすため、種分化や多様性の要因となる。

私たちは上記二点に着目し、海洋細菌の(1)海洋環境への適応プロセス、(2)他生物との相互作用による遺伝子の動的変化、を分子系統学的に明らかにすることを研究の目的としている。

今回は、(1)海洋環境への適応プロセスに焦点をあてて報告する。

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図1.16S rRNAの塩基配列を基にした細菌の系統樹(Giovannoni, S. & M. Rappe, 2000を改変)

 細菌の系統は複雑化する地球環境の変遷に対応して多様化してきたと考えられている。この図は16S rRNAの塩基配列を基にした細菌の系統を示したものだが、この系統樹の中では、現在海洋に生息する細菌はグループとしてまとまっていない。このことは、現在の海洋には異なる系統を持つ、すなわち歴史的な起源が異なる細菌が混在していることを反映している。我々は、これらのグループの中でProteobacteriaに含まれる海洋細菌を中心に研究をすすめている。

図2.プロトン(H+)とナトリウム(Na+)を介するエネルギー変換

 一般に細菌やミトコンドリアは、プロトンを介したエネルギー変換をすることが知られている。しかし、海洋はpHやナトリウム濃度が高く、プロトン勾配が利用しにくい環境である。1980年代に、海洋細菌Vibrio alginolyticusを使った詳細な研究がおこなわれ、ナトリウムイオンを細胞内から細胞外に直接排出するナトリウム依存性呼吸鎖や、そのために形成されるナトリウム勾配で回転する鞭毛モーターが発見された。それ以降、ナトリウムを介したエネルギー変換が海洋細菌において注目されはじめた。われわれは、この二つの機能、(1)ナトリウム依存性呼吸鎖と(2)ナトリウム依存性鞭毛モーターについて、海洋細菌における分布を明らかにするとともに、各々の構造遺伝子配列から海洋細菌の系統進化の検証を試みている。

図3.ナトリウム依存性呼吸鎖の構造

 これは、ナトリウム依存性系呼吸鎖、Na+-dependent NADH:quinone oxidoreductase (Na+-NQR)の構造の模式図である。Na+-NQRはα,β,γの三つのサブユニットから構成され、αの部分でナトリウムが細胞外に排出される。Na+-NQRをコードする遺伝子はプロトン依存性呼吸鎖とはまったく異なる遺伝子である。現在までに、Na+-NQR遺伝子が海洋細菌のみならずいくつかの病原細菌にも存在することが報告されているが、我々の研究から、海洋細菌と病原細菌ではNa+-NQR遺伝子の系統が異なる可能性が示唆されている。

図4.細菌の鞭毛モーターの構造

 細菌の遊泳は鞭毛でおこなわれる。鞭毛は、モーターの役割を持つ菌体膜に埋め込まれた基部体と、そこにつながるフック、鞭毛繊維より構成される。細菌の鞭毛モーターは、膜を介して流入するプロトン、あるいはナトリウムの電気化学エネルギーを、機械的エネルギーに変換し、回転する分子機械である。特に、海洋細菌であるVibrio属では、ナトリウムを流入させることによりモーターを回転させることが知られている。我々は、より広い範囲の海洋細菌を対象にナトリウム依存性鞭毛モーターの分布を調べ、Vibrio属以外の海洋細菌にも、この鞭毛モーターが分布している可能性を見い出した。

 

 我々がターゲットにしているProteobacteriaに属す海洋細菌は、系統的に古い起源を持つ細菌とはエネルギー変換過程が異なっている。特に、Vibrio科およびその近縁の細菌は、ナトリウム勾配を生産するNa+-NQRやその勾配を利用する鞭毛モーターを持つことから、ナトリウムの豊富な海洋環境に適応し、ナトリウム依存性の生理機能を獲得してきたようだ。我々はまさに、海洋環境におけるナトリウム依存性機能の獲得の歴史を目の当たりにしているのではないだろうか。

 今後、Na+-NQRやナトリウム依存性鞭毛モーターをコードする遺伝子を利用し、その系統関係を明らかにすることによって、海洋の細菌がいつ、どこから、どのようにやってきたかを明らかにしていきたい。

 

 本研究は、(1)海洋環境への適応プロセスにおいては、八尾花登美氏、西野智彦氏および木暮一啓教授(海洋研究所生態系動態部門)の協力を得て、また(2)他生物との相互作用による遺伝子の動的変化については、池島耕博士、石黒直哉博士および西田睦教授(海洋研究所分子生命科学部門)の協力を得ておこなわれている。

7 March, 2002