外洋は地球上で最も大きい生命圏であり、また最も未知の部分が多い世界でもあります。そこでは動物プラクトン、魚類、エビ類をはじめとする多種多様な生物が生活し、相互に複雑な食う?食われるの関係(食物網)を形成しています。また、同時にこれらの生物はダイナミックな鉛直移動を行い、表層から深層への有機物の輸送に貢献しています。私たちは、このような外洋・深海生物の生活様式と食物網に注目し、種多様性や物質輸送におけるそれらの役割について研究を進めています。ここでは、特に中・深層に生息する小型甲殻類のカイアシ類の生態とそれらの種多様性維持について、現在行っている研究の一部をご紹介します。

研究船による動物プランクトンの採集風景

外洋生態系の研究を行うためには大型研究船を用いた組織的研究が不可欠です。写真は動物プランクトンの鉛直分布を調べるための大型採集ネット(MOCNESS1)で、網口面積1平方メートル、9枚の網が装備さており、船上からの指令により開閉します。同時に水温、塩分、クロロフィル濃度などの環境データも収集します。

この図は、大型採集ネットを用いて調べたある動物プランクトンの昼夜鉛直分布と種多様性です。この図のように、動物プランクトンの多くの種で、個体数密度は表層の方が高い一方で、種多様性はむしろ中層で高くなることが知られています。このような、中層の高い種多様性はどのようにして維持されているのでしょうか?

スコレシスリックス属カイアシ類の個体数密度(左)と種多様性(右)

外洋の中層域は通常年間を通して水温、塩分などの物理環境は比較的均一で安定しています。そこに生息するカイアシ類などの動物プランクトンは、主として表層から落ちてくる懸濁有機物(デトリタス)に依存して生活していると考えられています。
北太平洋亜寒帯域における水温の鉛直分布(Nishikawa et al. 2001より)
一口にデトリタスといってもその大きさや種類には様々なタイプがあります。そして、中層に同所的に共存するカイアシ類の感覚器官や口器付属肢を観察すると、独自の器官を持っていたり、種により形態に変化に富んでいることが明らかにされつつあります。

多様な“デトリタス”(Alldredge & Silver 1988より)

 私たちは、中層性カイアシ類の感覚器官や口器付属肢がどのような微細構造をし、餌の摂食にどのような使われ方をしているのか、そして、どのようなものを食べているのかを調べることによって、中層における高い種多様性の維持機構の一端を推測することを目的として研究を進めています 

スコレシスリックス科カイアシ類の感覚毛

スコレシスリックス科カイアシ類は、デトリタスを餌とし、口器付属肢に感覚毛と呼ばれる特殊な刺毛をもっています。この感覚毛はデトリタスの感知に関与する化学受容器であるらしいことが推察されています。相模湾において、本科のカイアシ類は既知種167種の1/4に相当する44種が出現し、同所的多様性が高いと同時に、その種多様性が中層の多様性の高さを反映したものであることが明らかとなりました。鉛直分布を調べたところ、表層から中層上部にかけては、同属内で体長は類似しているものの、日周鉛直移動を含めた微細な分布の違いが見られました。中層においては分布の重なりが大きくなる一方、大部分の種間で体長は様々で、体長に差のない一部の種間では口器形態に違いがありました。これらのことから、表層付近に生息する本科のカイアシ類では鉛直的なすみ分けが、中層では餌粒子の大きさや種類といった細かい食性の違いによる資源分割がこれらカイアシ類の共存を可能にしているのではないかと考えています。

ユウオーガプティルス属カイアシ類の口器形態

深海に棲んでいるユウオーガプティルス属のカイアシ類は生息数は少ないですが、同じ海域に多くの種が棲んでいます。私たちはこのカイアシ類が、どのようにして共存しているのかを調べています。このカイアシ類は餌を捕まえるための腕に独特の吸盤状の“ボタン”と呼ばれる構造を持っています。このボタンを詳しく調べてみると、種によって形や大きさが異なることがわかり、その内部構造から餌をしっかり捕らえる事が出来ると考えています。また、種によって生息深度がそれぞれ異なったり、同じ深度にいる種同士では体長や歯の形、ボタンの形が異なる事などがわかってきつつあります。

ケファロファネス属カイアシ類の“眼”の微細構造と生態学的役割

この大きな目玉を持った動物は深海に棲むカイアシ類の一種で、ケファロファネス属という仲間に属します。この仲間は世界で3種しか知られていません。また、その数も非常に少なく、1000 m3中に数匹以下の場合がほとんどです。この動物の様々な器官を詳しく調べたところ、眼は深海に存在する微弱な光を集めて視神経に送るためのきわめて集光性能の高い反射板をもち、顎はカミソリのような歯を備え、消化管には餌を消化するためと思われる未知の物質が発見されました。また、餌を食べているほとんどの個体で、消化管の中身は甲殻類の殻の破片で満たされていました。私たちは、このカイアシ類が表層から落ちてくる甲殻類の死骸に付着したバクテリアの発光を感知して、餌の乏しい深海で、他の動物が利用できない資源を有効に利用しているのではないかと考えています。
 

19 April, 2002