本研究の目的は、食糧資源となる海洋生物資源を対象に、それらの卵・稚仔が産卵場から成育場に到達するまでの輸送・回遊プロセスの中で、海流を中心とした海洋変動現象がどのような役割を果たすのか、遊泳能力をあまり持たない段階での浮遊性稚仔の生き残り戦略を解明し、海洋気象変動に伴う資源量変動のメカニズムを確立することにあります。卵・稚仔の輸送拡散としてだけでなく、水温、餌条件の変化などを組み合わせたモデル化や、黒潮前線域のような低気圧性渦の発生に伴う高い低次生物生産が認められる海域、つまり餌条件がよく稚仔魚にとって生き残り環境がよい場所での選択的産卵にも着目して研究を進めています。

今回のMonthly Reportでは、ニホンウナギの産卵場が位置する北赤道海流の物理的な環境特性と、それらの経年的な変動がウナギ幼生の輸送・拡散過程に果たす役割、また、マイワシやカタクチイワシなどの浮魚類の稚仔が餌料環境の良くない黒潮沖合域に輸送されてしまった場合に、どのような生物生産プロセスを経てエネルギーを得ているのか、黒潮前線の蛇行に伴う低気圧性渦の役割について報告します。

図1 ニホンウナギの回遊と産卵海域の循環

ニホンウナギは、北赤道海流域中のフィリピン東部に位置するグアム島に近い海域で産卵し、フィリピン東部海域で北赤道海流から黒潮の源流にうまく乗り換えることによって、はじめて日本沿岸海域へ到達することが可能となる。この西部太平洋では、エルニーニョ発生時に降水量は低下し、二ホンウナギの産卵場がある北赤道海流域の塩分フロントは大きく南に移動する。平均的には北緯15度付近に位置する塩分フロントがニホンウナギの産卵に大きく関連しているものと見られ、塩分フロントの南側に存在する輸送に適した強い流れに幼生が取り込まれるための戦略として塩分フロントに代表される水塊の違いを利用しているものと考えている。また、北赤道海流から黒潮への乗り替えには、貿易風によるエクマン輸送が効率的に幼生が黒潮に取り込まれるための要因となっている。

図2 数値シミュレーションによるニホンウナギ幼生の輸送拡散過程

幼生の回遊プロセスを可視化したもので、北赤道海流域の産卵場から東アジア一帯に幼生が半年程度で広がっている様子がよく分かる。また、分布に係わる様々な疑問に答える手段として、数値シミュレーションが有効であることを示している。例えば、今まで、?なぜ過去に沖縄東南方が産卵場と推定されてしまったのか、?黒潮本流は台湾の東側を通過するにもかかわらずなぜ台湾では西岸で採捕量が多いのか、?なぜ韓国では採捕量が少ないのか、といった生理に係わる諸問題が長年整理されてこなかった。しかし、このシミュレーションによる研究によれば、?は、沖縄の東南海域に大きな渦が形成されるので、その中に幼生が取り込まれてしまい産卵場の推定に誤りを生じさせたことによるもの、?は、表層に分布する幼生が、黒潮の本流から離れて台湾の西岸に輸送されることによるもの、?は、韓国沿岸に幼生がたどり着く時期は、日本沿岸に比べて半年以上遅いことから、河川への遡上時期を逸っしてしまうことによるものと、説明ができることが分かった。

図3 ニホンウナギシラスの漁獲量変動と南方振動指数の経年変動(下段の漁獲量は鹿児島における上段の回帰線からの偏差を示す)

南方振動指数 (SOI、Southern Oscillation Index)が負を示すエルニーニョ発生時には、西太平洋における降水量は低下し、二ホンウナギの産卵場がある北赤道海流域の塩分フロントは北緯10度を越えて大きく南に移動する。それに伴って、産卵場も南下すると、幼生が日本沿岸での接岸時期を逸してしまうばかりか、黒潮とは逆のミンダナオ海流域に取り込まれてしまう可能性が高くなる。エルニーニョ発生年には、日本沿岸でのシラスウナギの漁獲量が減る傾向にあり、このような資源変動のメカニズムを強く裏付けている。

図4 人工衛星で得られた低気圧性渦の海色画像

 黒潮前線域には、前線波動に伴う低気圧性の擾乱が発生する。この現象は、下層で貯蓄された高濃度の栄養塩を植物プランクトンが光合成を行える海面近くの有光層に供給し、植物プランクトン、ひいては動物プランクトンの生産性を飛躍的に高めるものと考えられている。一般に餌料環境が良くないと言われている黒潮の沖合域に輸送されてしまった場合に、どのような生物生産プロセスを経てエネルギーを得ているのか、親魚の産卵行動を含めて検討を行っている。

図5 黒潮フロント域での低次生物生産過程

これまでの遠州灘を対象とした観測と数値シミュレーションに基づいた研究から、渦一個当たりの基礎生産量は炭素量で4×104t程度と見積もられ、遠州灘沿岸域全域に渦による生産の影響を広げた場合、この渦による基礎生産は40gCm-2y-1と推算された。この値は、大西洋の湾流での類似した推定値とよく一致し、西岸境界流域のフロント付近の擾乱が、互いに同じ程度の規模の生物生産をもたらしていると考えられる。また、過去に推定された遠州灘沿岸域の基礎生産量と比較すると、この渦による基礎生産量はその1/3に相当し、沿岸での基礎生産を考える上でもこのような低気圧性の渦は無視できないほどに大きな現象であることが分かった。

 

 

図6 渦域における低次生物生産と卵・稚仔の分布

渦域では、発生直後に鉛直的な混合が起こり、水深30mと50mの硝酸態窒素濃度比は1となるが、時間が経過し濃度比が下がるに連れてクロロフィル濃度が増加する。それに伴ってcopepod naupliiの密度も増加し、それらの密度が最大となったところでカタクチイワシの卵と仔魚が濃密に分布していた。つまり、渦の生成が二次生産にまで影響していることを示唆するものであり、稚仔魚の餌となる低次生物生産、ひいては稚仔魚の生残が黒潮フロント域における鉛直的な物質の輸送によって支えられていること、また、そのような稚仔魚にとって生残の良い海域での親魚による選択的な産卵があることを示唆するものである。

27 August, 2002