東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第6章 大型研究計画の推進

6-8 科学技術振興機構戦略的基礎研究推進事業/戦略的創造研究推進事業(CREST)

(1)「海洋大気エアロゾル組成の変動と影響予測」

研究代表:植松光夫教授
研究領域「地球変動のメカニズム」(研究総括:浅井冨雄)
研究期間:1998年12月~2003年11月

得られた成果は以下の通りである.

  • (1) 大気エアロゾルや気体成分と海洋表層の物理・生物パラメータを無人で,自動航走あるいは定点保持をして連続測定するプラットフォームとして世界初の無人海洋大気観測艇「かんちゃん」を開発し,実用化の目途をつけた.研究期間中に,三宅島の火山噴煙の影響を受けた高濃度の二酸化硫黄のみならず,従来ほとんど測定されていなかったアンモニアを検出するという予想外の知見も得られた.海洋観測手段のひとつとしての「無人大気海洋観測艇」の有効性を示した.
  • (2) 陸海空から集中的に観測する国際共同研究プロジェクト(ACE-Asia)に参画して,陸上と海上での観測を実施した.地上観測網として,大気の物質輸送パターンを明確にするため,東経140度線に沿って北緯45度の利尻島から,佐渡島,八丈島,北緯27度に位置する父島までの4観測点でエアロゾルと気体成分の観測,研究船による移動観測により大陸起源の自然的・人為的エアロゾルの諸特性を把握し,増加しつつある窒素酸化物の海洋への降下は海洋生物生産に影響を及ぼす重要因子となり得ることを示唆した.
  • (3) 「化学天気予報システム」を用いて観測結果と事後解析から,アジア大陸で新たな黄砂発生源となる地帯を検出したことや,黄砂が硫酸塩に数時間の遅れを持って日本に飛来すること,従来知られていなかった東南アジアの焼畑に伴うススや一酸化炭素が日本上空に輸送されることを明らかにした.

これらの研究成果を国内外あわせて130篇を越える学術論文として発表し,月刊『海洋』の特集号に本研究の要約版を公表した.

(2)「アジア域の広域大気汚染による大気粒子環境の変調について」

研究代表:中島映至教授
研究領域「地球変動のメカニズム」(研究総括:浅井冨雄)
研究期間:1999年11月~2004年10月

本研究では,アジア域の大気汚染エアロゾルが引き起こす気候影響について調査した.気候影響にはエアロゾルが太陽放射を直接,散乱する直接効果や雲場を変える間接効果などがある.得られた成果は以下の通りである.

  • (1) 人為起源エアロゾルが過去150年間に引き起こした直接効果の放射強制力は大気上端で-0.06W/m2と小さく,人為起源エアロゾルが地球の惑星反射率をそれほど変えていないと考えられる.一方,間接効果は大気上下端とも-1W/m2程度の大きさであり,地球系を冷やしていると考えられる.これは長寿命の温室効果ガスの引き起こす温室効果の約1/3を間接効果が相殺していることを意味する.
  • (2) 集中観測が行われた済州島と奄美大島域では,自然起源を含む全エアロゾルの直接効果は大気上端で-1から-3W/m2程度,大気下端では数十W/m2,一方,間接効果は大気上下端とも-1から-3W/m2程度であった.これらは全球平均の10倍にも及ぶ値であり,地域的には大きな強制力がかかっていることがわかる.
  • (3) 地表面における直接放射強制は海域平均で-1.0W/m2,陸域平均で-2.3W/m2であり,エアロゾルによって日射の強い減少が起こっている.また,海域と陸域の間には1W/m2にのぼるエネルギー収支の差があるために二次的な大循環が発生していると考えられる.これはアジア域においてはおおむね降雨量を抑制する傾向であり,中国と日本の南方海上では-0.5mm/日にも及んでいると思われる.

本研究で開発したエアロゾル放射・輸送モデルSPRINTARSは我が国の地球温暖化研究や大気汚染研究に利用され,IPCC第4次報告書でも引用されている.またSKYNET放射ネットワークが確立され,現在では多くの利用が行われている.

(3)「階層的モデリングによる広域水循環予測」

研究代表:木本昌秀教授
研究領域「水の循環系モデリングと利用システム」(研究総括:虫明功臣)
研究期間:2001年11月~2007年3月

本研究では多様なモデルを開発・使用し,さまざまな角度から広域水循環の予測可能性の評価とそのメカニズム解析を行った.

モデル開発においては,大循環モデルプログラムの並列・高速化,新規パラメタリゼーションの導入や既存のものの再調整などの作業を行い,水平約110kmの高解像度版を広域水循環予測等の研究に耐えるレベルにまで調整することができた.同時に大気海洋結合モデルも高解像度化,高精度化を行った.大気モデル,結合モデルとも延べ数百年の積分を行い,これまで十分に表現されなかった梅雨前線やモンスーン域の季節内変動の再現性を格段に向上させることができた.大気海洋結合モデルに観測データを同化して初期値化し,予測を行うことのできるシステムの開発を行い,結合モデルによる予測予備実験を開始した.また,現象メカニズムの解析に有用なツールとして,大気大循環モデルの線型化モデルを構築し,世界に先駆けて湿潤過程を含むように拡張することができた.この他,現在の大循環モデルでは表現できない小スケール現象を解像できる領域モデルを大循環モデルに埋め込む双方向ネスティングの基礎研究を行い,プロトタイプを構築した.

予測可能性研究においては,東アジアモンスーンの水循環予測に重要な諸現象のメカニズムや予測可能性の多様な面について,データ解析と数値実験を駆使して探求した.夏季東アジアモンスーンについては,熱帯~亜熱帯変動の主要モードの形成機構,オホーツク海高気圧の年々変動に対する春季ユーラシア大陸北部の地表面変動の影響,2003年冷夏時の北大西洋海水温偏差からのテレコネクションの存在等を明らかにすることができた.東アジアの冬季天候に影響の大きい北極振動にも先行する秋の東シベリアの積雪偏差が鍵となっていることが事例予測実験によって確認された.

本研究を通じて,数値モデルを現象再現のツールから予測ツールへと進化させる科学的基盤を構築することができた.

(4)「全球雲解像大気モデルの熱帯気象予測への実利用化に関する研究」

研究代表:佐藤正樹教授
研究領域「マルチスケール・マルチフィジックス現象の統合シミュレーション」(研究総括:矢川元基)
研究期間:2005年10月~2011年3月

本研究では,東京大学および海洋研究開発機構で共同開発した「全球雲解像モデル」NICAMを熱帯気象予測に実利用化するための可能性を追求することを目的とした.特に熱帯・モンスーン域の積雲が活発な領域の気象予測性について調べた.このために「地球シミュレータ」を駆使し,季節内変動と台風の事例実験をターゲットとした全球雲解像モデル実験を実施した.熱帯気象予測の観点からは,マッデン・ジュリアン振動(MJO)等の季節内変動と台風の発生過程の予測は,従来のモデルにおける弱い点であり,全球雲解像モデルによる再現精度の向上が大いに期待されるところであった.

本研究によりMJOに伴う大規模熱帯擾乱のマルチスケール構造を世界で初めてシミュレートすることができ,MJOを起源とした熱帯低気圧(台風)の発生を2週間以前に予測可能であることを示した.また,甚大な被害をもたらした熱帯低気圧Nargis(ミャンマー,2008年5月)のFengshen(フィリピン,2008年6月)の再現実験を行い,季節内変動と熱帯低気圧の予測可能性について研究を進めた.

季節内変動と台風の発生は強く関係しており,これらの再現性が高い全球雲解像モデルによる台風シミュレーションの信頼性を高めることとなった.将来予想される温暖化に伴う台風の変化についても,全球雲解像モデルにより信頼のおける予測結果を得ることができよう.

(5)「海洋循環のスケール間相互作用と大規模変動」

研究代表:羽角博康准教授
研究領域「マルチスケール・マルチフィジックス現象の統合シミュレーション」(研究総括:矢川元基)
研究期間:2006年10月~2012年3月

本研究では,局所的深層水形成と全球規模海洋深層循環の相互作用というマルチスケール性と,深層水形成過程における海氷と海洋の力学・熱力学的相互作用というマルチフィジックス性を軸に,海洋の大規模変動を効率的にシミュレートする手法を開発することを目的とした.この目的を達成するために,深層水の形成・変質・輸送過程に関して,小規模プロセスから全球規模循環までの様々なスケールごとのシミュレーションとそれらの相互作用のシミュレーションを行い,深層循環をコントロールする物理メカニズムを明らかにした.

顕著な成果としては,南極大陸沿岸における深層水形成過程をこれまでにない精度で再現することに成功するとともに,近年南極大陸周囲で生じた大規模氷山の崩壊が全球規模海洋深層循環に及ぼす影響を評価したことが挙げられる.また,深層水形成過程は氷海域における変動性の高い小規模プロセスという観測が最も困難な現象であるが,観測と密に連携した研究を展開することで,これまでに例を見ない形での観測―シミュレーション融合研究を実現した.すなわち,観測に基づいて新たな深層水形成領域を特定するのとほぼ同時に,観測のみでは知ることができない深層水形成の時空間変動特性をシミュレーションによって明らかにし,さらに定量的な側面を明らかにするための観測をそのシミュレーション結果に基づいて立案・実施した.

(6)「超高速遺伝子解析時代の海洋生態系評価手法の創出」

研究代表:木暮一啓教授
研究領域「海洋生物多様性および生態系の保全・再生に資する基盤技術の創出」(研究総括:小池勲夫)
研究期間:2011年12月~2017年3月

遺伝子解析技術は,自然科学の研究領域で近年最も急速な進歩を挙げた技術の代表例である.とりわけ2006年前後に発売された次世代型シークエンサは,従来得られなかったような多量の情報を短時間に取得することを可能にし,生物学の様々な領域に大きな影響を与えつつある.

本研究は,この新しい技術を微生物を中心とした海洋生物群集に適用し,飛躍的に多量の生物多様性情報,発現遺伝子情報および環境パラメータ情報を得て生態系の診断と再生とを可能にすることを目的としている.より具体的には,実際に微生物,浮遊生物,底生生物,魚類などの遺伝子を次世代シークエンサを用いて解析をする研究者グループに加えてバイオインフォマティクスの専門家グループ,現場設置型のオートサンプラおよびデバイス開発に係るグループが強固な連携を行いながら研究を進める.実際のフィールドとしては沿岸域(岩手県大槌湾,神奈川県油壺湾),および学術研究船を用いて沿岸から外洋にかけてのサンプリングを行い,最終的にモデリングを通じて環境の診断を行っていくことを意図している.