東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第4章 大気海洋研究所の組織と活動

4-3 東日本大震災への対応と復興

4-3-2 震災への対応と復興への取り組み

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震により,国際沿岸海洋センター(以下,沿岸センター)は,上述のように甚大な被害を受けた[➡4―3―1].この地震では,柏キャンパスでも大きな揺れが生じ,2時間近くにわたる屋外退避を余儀なくされた.この間,3階の一部で上水の配管が壊れ,質量分析計が水を被って使用不能となる被害が生じたほか,所内の上部階で棚や実験機器が倒れる,棚の書籍が落ちるなどの被害があったが,幸い大気海洋研究棟にも気候システム研究系が入る総合研究棟にも建物自体には目立った損傷はなかった.学術研究船にも損傷はなかったが,震災対応に関してはいくつか特記すべきことがある.それらについては次節を参照されたい[➡4―3―3].本節では,主として沿岸センター被災に対する本所の対応と復興への取り組みの概略について記す.その詳細は,突発的な危機に対する取り組みに関する教訓を導き出すための資料となる可能性も考え,別に以下に残しておく.詳しくはhttp://www.aori.u-tokyo.ac.jp/50th/index.htmlを参照していただきたい.

(1)災害対策本部の設置と直後の対応

屋外退避が解除になってすぐの16時50分に,西田睦所長を本部長とする本所の災害対策本部(以下,本所対策本部)を設置した.本所対策本部は,連日,夜遅くまで奮闘した.この日は交通機関が止まったため,研究所の多くのメンバーは研究所の建物で,おさまらない余震を感じながら夜を過ごすこととなった.

11日14時46分の地震発生直後から沿岸センターと連絡を試みるものの電話が通じず,心配がつのったが,本所対策本部ではあらゆる手段で沿岸センター教職員学生の消息・安否確認を進めた.11日夜には,タスマニアでの国際会議に出席中の佐藤克文沿岸センター准教授から,多くの大学院学生が同行していて無事であることの連絡が入った.翌日には,電話の通じるところまで避難してきた大学院学生から連絡が入り始め,14日の22時10分にはついに沿岸センターの教職員・学生と被災時に滞在中だった共同利用研究者全員の無事が確認できた.この情報は,直ちに所長から本学の災害対策本部(以下,本学対策本部)に報告したが,これによって本学の全員が無事であったことが最終的に確認された.

14日には,所長メッセージを本所ウェブサイトに掲載した.また,全員の無事が確認できたので,本所対策本部では,被災学生・教職員への支援(柏での当座の資金や住居,研究スペースなど)について具体的検討を開始し,本学対策本部にも住居などに関する支援を依頼した.15日になってようやくNTTの中継車が大槌に到着し,12時45分に大槌の避難所にいた大竹センター長から,待望の電話が本所対策本部を置いた所長室に入った.避難所へ医薬品等を至急送達してほしいとのことであったので,本学対策本部に相談したところ,前田正史本部長から全面協力するとの即答があった.本学対策本部の動きは迅速で,その日のうちに本学附属病院で医薬品を調達し,翌16日8時45分にはそれらを積んだ本学の自動車を緊急車両として本郷から出発させた(第1次隊).この車には現地案内者が必要であったため,大槌で自宅を流され避難してきたばかりであった福田秀樹助教が同乗した.車は本部職員2名が交代で運転して走り続け,その日の夕方には大槌に到着した.一方,医薬品以外の物品については,永田俊教授と沿岸センター大学院学生の天野洋典が届けることになり,柏で調達できたもののみを携えて20時に羽田空港を秋田に向かって発った(第2次隊).彼らは翌17日の朝に残りの物品を秋田市で調達し,それらを積んだタクシー4台を連ねて雪が降る峠を越え,欠乏していた必需品を夕刻に大槌の避難所に届けた.

このような大槌支援,沿岸センター施設の状況確認等のための所員の派遣は,以後5月14日まで計11回に及んだ.とくに,使える機器類・図書類・実験ノート・サンプルの回収,試薬類(とりわけ毒・劇物)・RIの詳しい被災状況把握と可能な範囲での回収,建物の安全性確認などが,第5次隊以降の重要な課題であった.第5次隊(3月29~31日)には,本所のメンバーである木暮教授,福田助教,および川辺専門職員に加えて,高橋健太(本部施設部施設企画課,事業企画・地域連携チーム),川口克己(本部資産管理部管理課副課長,建物診断資格者),および鷺山玲子(物性研究所低温液化室)が,沿岸センター建物の安全性点検や高圧ガスボンベ類のチェックのために加わった.第6次隊(大竹センター長ほか15名,3月30日~4月1日)は,教員室・学生室・センター長室の物品やデータ類の回収,計算機関係の被災状況の確認,高圧ガスボンベの回収,被災の象徴になるような物品の回収,事務室金庫の捜索,自宅に残された生活物品の回収などをミッションとしたが,瓦礫に阻まれていくつかの項目については,第7次隊(大竹センター長ほか9名,4月6~9日)に委ねた.この隊は,学生・教員の物品回収,レンタル契約の電子計算機関連の被災状況の確認,薬品回収,未回収高圧ガスボンベ,CTD本体,データ処理PC,水中カメラ,ADCP,サイドスキャンソナー等の回収,共同利用研究員宿舎208号室のドア撤去,室内の点検などに尽力した.また,大槌に留まっているセンター職員や町への義援金(後述)の手渡しもなされた.第8次隊(大竹センター長ほか6名,4月14~16日)は,薬品類・廃液,RIおよびRI標準線源装備品の回収に成功し,柏への搬送を行った.

当面,大槌で研究活動を継続することが困難になったため,沿岸センターの教員と学生および事務系職員はいったん柏に本拠を移すこととした.大学本部の支援により,柏ロッジや柏の葉ロッジの空き部屋の半年をめどとした使用が許され,とりあえず柏での生活が可能となった.また,研究所内での居室も,沿岸センター教員居室の活用や,関連する研究分野の研究室スペースの貸与によって確保された.本部事務局から被災学生向けリユースPCの貸し出しもあり,研究・勉学活動が少しずつ再開された.一方,技術系職員と事務系職員の一部は大槌に留まり,徐々に必要となるであろう震災対応研究や共同利用に備えた.現地で自宅をなくした職員の宿舎の調達にも,本学は協力した.

本所の内外では,震災直後より,被災したメンバーや大槌の地元の人たちに援助したいという声が強くあがっていた.新領域創成科学研究科自然環境学専攻教員有志からは,早くも震災直後に被災した沿岸センターメンバーへの義援金が届けられた.本所対策本部では,本所の内外での義援金ないしは寄付の募集のあり方について検討し,以下のような,大きく3つの動きになるのではないかと考えた.第1は,当面の費用の援助のための所内での見舞金の募集,次いで,本所教職員OBや大槌関係者が主唱者となるやや幅広い募金,最後に,本学が運営する東大基金の中に位置づけられる,息が長く幅の広い復興基金の設立と募金である.まずは,3月22日に所長より所内に見舞金の呼び掛けがあり,即座に多くの賛同が寄せられた.その志は4月に入って早々,大槌で被災したメンバーと千葉県浦安市での地盤液状化の被害を受けたメンバーに手渡された.また,第2の募金については,沿岸センターの教職員OB等を中心とする15名の発起人(代表は宮崎信之名誉教授)によって,沿岸センター災害支援基金が立ちあげられた.本所関係者や日本海洋学会員ほか関連コミュニティに広く呼び掛けがなされ,5月末までに320件を超える支援が寄せられた.第3の取り組みに関しても,6月には江川雅子理事をはじめとする本部の協力により,東大基金に沿岸センター活動支援プロジェクトが立ち上がった.

4月1日に本所所長が西田睦教授から新野宏教授に交替し,新野所長が本所対策本部長となった.4月8日,濱田純一総長が沿岸センターの被災状況を視察するとともに,東梅政昭大槌町副町長と会談し,本学として沿岸センターの復旧を図ることを約束した.4月11日には,本学に救援・復興支援室(室長:前田正史理事・副学長)が設置され,同室に大槌復旧建設班(班長:新野所長)も設置された.4月20日,本所は災害対策本部を解散し,沿岸センター復興対策室および復興委員会を設置した.こうして本所の震災へ取り組みは,緊急の対応から息の長い復興に向けた活動の段階へと入った.

(2)地元復興への協力と沿岸センター復興に向けての活動の開始

5月2日,大槌町の厚意により,城山の中央公民館の1室の提供を受け,本所はそこに沿岸センター復興準備室を設置した.新野所長と大竹センター長は西村幸夫副学長とともに東梅副町長と会談した.また,所長は県広域沿岸振興局長・県水産技術センター長にも沿岸センター復興への支援を要請した.5月13日,本学は遠野市に本部救援・復興支援室の遠野分室を,沿岸センター復興準備室内に救援・復興支援室大槌連絡所を設置し,前田副学長が東梅副町長および県広域沿岸振興局長と会談した.本所は,沿岸センター本館3階に復興準備室現地事務所を設置した.15日には,キャンパス計画室の河谷史郎特任教授らの協力のもと,沿岸センター本館3階に電気と水道を引いた.20日には,船具倉庫脇まで水道を引き,沿岸センター研究棟脇に仮設トイレを設置した.20~31日には,研究棟と敷地内の瓦礫を撤去し,研究施設としての最低限の機能回復を行った.また,中央公民館内の沿岸センター復興準備室への電話回線引き込み工事とインターネット接続が完了した.これらにより大槌湾を中心とした三陸沿岸域の復興研究が開始できることになった.

8月には,新調査船「グランメーユ」(フランス語で「大きな木槌」の意味)(FRP 1.8t,9.53×2.4×1.8m,100kW法馬力)の進水式が大槌漁港で新野所長,大竹センター長,黒沢技術専門職員ほかの立ち会いのもとに行われた.また,外来研究員の再募集とともに,共同利用研究が再開された.津波で町長が亡くなって以後,空席となっていた大槌町長の選挙があり,碇川豊町長が就任した.9月に入ると岩手県による沿岸センター周辺の仮設防潮堤の建設が始まった(11月に完成).沿岸センターでは,仮設ブイに装着した水温自動観測記録装置による水温の水深別記録を6カ月ぶりに再開した.10月には,船舶関係の特任専門職員として矢口明夫を雇用した.また,例年5月に実施していた新領域創成科学研究科海洋環境臨海実習を岩手県水産技術センター(釜石市)の協力のもとで実施した.12月には,大槌町の漁業者である小豆嶋勇吉氏より寄付を受けた船体に東大基金沿岸センター支援プロジェクトにより購入したエンジンを取り付け,2隻目の調査船「赤浜」(FRP1.2t,5.75×1.55×0.62m,30kW法馬力)を進水させることができた.

このように,沿岸センターの研究体制が徐々に整ってくる中で,地元への研究面での還元にも力を注いだ.沿岸センターは地域の漁業者の要請に応え,9月には「大槌湾や船越湾における藻場の被害状況と回復過程」に関する調査報告会を開催し,10月には「岩礁藻場域におけるアワビやウニなどの磯根資源の被害状況」に関する調査報告会を2回開催した.10月に開催された第1回大槌町復興まちづくり創造懇談会には,大竹センター長がアドバイザーとして出席した.また,30年前より毎年,沿岸センターで行われてきている海洋物理と気象に関する2つの共同利用研究集会「黒潮・親潮続流域の循環と水塊過程」および「北日本を中心とした降水・降雪特性に関わる海洋大気陸面過程」が,11月に大槌町中央公民館において大槌町との共催で開催された.参加者のための宿泊所として大槌町の浪板交流促進研修センターを使用した.12月には大槌町中央公民館において,沿岸センターシンポジウム「三陸沿岸生態系に対する大津波の影響と回復過程に関する研究報告会」(大気海洋研究所と大槌町の共催)を開催した.

2012年に入ると,復興への取り組みはさらに進んだ.新年早々,大槌町と沿岸センター復興に関する打ち合わせが,また,本学キャンパス計画室とは沿岸センター建物再建のための打合せが行われた.2月には,本学の救援・復興支援室大槌復旧建設班の中に,連携活動部会(道田豊部会長)の設置が認められた.並行して,純水製造装置,電子天秤,実体顕微鏡,超音波洗浄器,冷蔵庫,冷凍庫などの研究施設やバンドン採水器,ニスキン採水器,スミスマッキンタイヤ採泥器,河川電磁流速計などの観測機器類を随時購入・整備した.さらに,コンクリート水槽3面を復旧し,FRP水槽2個,温水シャワーユニット,および倉庫を設置した.3月には,キャンパス計画室松田達特任助教作成のボリュームスタディ案に基づく沿岸センター建物再建案について打ち合わせた.同月,大槌町において,濱田総長,道田教授(連携活動部会部会長),中井祐教授(連携活動部会副部会長),碇川町長,阿部六平町議会議長,高橋浩進副町長,岩手県職員1名が出席して,「東京大学と大槌町との震災復旧及び復興に向けた連携・協力に関する協定書」の調印式が行われた.

沿岸センターでの共同利用活動も着実に回復を始めている.2011年度は,最終的に,採択した外来研究員53件のうち19件,研究集会4件のうち4件が実施された.2012年度大槌地区共同利用研究は,外来研究員31件(102名),共同利用研究集会3件(120名)が採択された.