東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第3章 大気海洋研究所の設立への歩み

3-1 大気海洋研究所の設立

3-1-4 設立準備の最終段階

2008年の9月および10月に両組織が新研究所設立に向かって努力することを決めたことによって,1年余にわたって両組織のメンバーで連携のあり方を検討してきた「海洋研究所・気候システム研究センターの連携に関する懇談会」は役目を終えた.2008年12月,新研究所の理念や組織案を具体的に検討するために,両組織のメンバーよりなる「海洋研究所・気候システム研究センター連携準備委員会」が立ち上げられた.この準備委員会も山上会館にて開かれ,各組織での検討結果をもとに,2009年12月まで合計9回にわたって新研究所の詳細計画を練っていった.2009年12月の最終会合では,新研究所の理念や組織の基本構想文書をまとめた.それには,大気海洋研究所の基本理念が以下のように整理されている。

大気海洋研究所は,地球表層の環境,気候変動,生命の進化に重要な役割を有する海洋と大気の基礎的研究を推進するとともに,先端的なフィールド観測と実験的検証,地球表層システムの数値モデリング,生命圏変動解析などを通して,人類と生命圏の存続にとって重要な課題の解決につながる研究を展開する.また,世界の大気海洋科学を先導する拠点として,国内外における共同利用・共同研究を強力に推し進める.これらの先端的研究活動を基礎に大学院教育に積極的に取り組み,次世代の大気海洋科学を担う研究者ならびに海洋・大気・気候・地球生命圏についての豊かな科学的知識を身につけた人材の育成をおこなう.

2009年3月に,海洋研究所教授会で,新研究所の名称を大気海洋研究所とすることが確認された.6月には,気候システム研究センター運営委員会でもこのことが確認された.また同月,本学の2010年度からの次期中期目標・中期計画案に大気海洋研究所が記載された.さらに同月,塩谷立文部科学大臣から,拠点名=大気海洋研究拠点として,共同利用・共同研究拠点認定の通知が届いた.こうして,大気海洋研究所設立のための基礎固めは完了した.

以後,2010年4月の大気海洋研究所設立に向けて,様々な作業が進められた.海洋研究所では,同じ時期の2009年度末に柏移転をする予定で準備を進めており[➡2―6],これと並行しての作業となった.これは教職員にとっては非常に大変なことであったが,それぞれは新しいソフトとハードを居心地よく機能性が高いものへと作り上げる前向きの作業であり,意気高く仕事に取り組んだ.2009年7月には,全所員に向けて「海洋研究所の改組及び移転に関する説明会」が開催された.

2009年6月には,共同利用・共同研究拠点活動を支援するうえで重要であり,また技術系職員組織化の側面もあわせもつ共同利用共同研究推進センターの準備ワーキンググループ(WG)を立ち上げ(新野宏WG長),WGは同センターの各室を組織するためのプラン策定を技術系職員とも意見交換をしながら進めた.所長との間で調整され確定されたプランに基づき,10月には技術系職員と所長との個別面談が実施された.そこでは,本センター内の各室への配属希望等の聴取もなされ,2010年4月からの本センターの陣容案が固まっていった.

2009年10月になると,両組織の会計システムの統合についての打ち合わせに入った.活動内容やスタイルがかなり異なる両者の間には,会計処理においても様々な違いがあり,大きな無理なく有効に統一していく方途について,両組織の執行部と事務部とで工夫・調整を進めた.同時期に,大気海洋研究所の諸規則の準備にも取りかかった.これについては,海洋研究所と気候システム研究センターのそれぞれ数名の教員および海洋研究所事務部長・総務課長からなる「新研究所諸規則検討チーム」を発足させて,新研究所諸規則案を作成していった.作成された案はまず所長室で検討し,次いで2010年1~3月の海洋研究所教授会および気候システム研究センター教員会議・運営委員会での審議を通じて改善を施した.さらに,重要な基本的規則については本部役員会が承認し,制定した.それ以外の規則については,後述の「東京大学大気海洋研究所設立準備委員会」によって2010年1~3月に順次,審議・決定された[➡3―1―5].こうした膨大な実務的作業の迅速で着実な遂行には,池田貞雄海洋研究所事務部長の指揮のもと,規則の準備など総務的な側面では,吉田雅彦総務課長,菊地みつ子専門員,宮城明治総務係長らの,また会計システムの統合と構築など経理的な側面では,山岸公明経理課長,大浦輝一司計係長,および柏事務部(気候システム研究センター担当)の西井佐和子主任らの働きが目覚ましかった.

新しい研究所が立ち上がるとなると,発足と同時にその紹介パンフレットなどが必要であり,また新しいロゴなども用意する必要がある.2009年末からは,海洋研究所の所長室と広報委員会出版編集小委員会(小川浩史委員長)とで,中島映至気候システム研究センター長とも相談しながらパンフレットの作成を急いだ.翌2010年1月には,両組織のメンバーでロゴ検討ワーキンググループ(岡英太郎WG長)を設置して,新ロゴの作成に取りかかった.当初は,ロゴ制作会社に依頼して18名のデザイナーが作成した27案を検討したが,多くのメンバーが納得できる案は得られなかった.ただし,この27案の中に,補助的な使用には適切だと思える可愛らしい案が含まれていたので,まずはこれを第2ロゴとして採用した[➡巻頭写真].新年度となり大気海洋研究所が発足して1カ月後の5月に,改めてロゴ案の所内公募がなされた.その結果,14名から51案の応募があった.その中から絞り込んだ3案を所長室会議が検討した結果,気候システム研究系の今田由紀子特任研究員の案を採用することとなった.今田のイメージの源泉になったのは,葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」で,そこには海・空・雲・大地・船など,大気海洋研究所(AORI)を象徴する要素が描かれている.そのことを基礎に,荒波に立ち向かう舟と富士山が描かれている位置にAORIの文字を置くことにより,「大自然の神秘に立ち向かう,日本を代表する研究機関」という意味を込めるというのが今田の意図で(『Ocean Breeze』第4号,2011),その意図とデザインが本所の多くのメンバーの支持を得ることとなった.ロゴ検討WGの指示のもとに,デザイン会社「ガッシュ」がこのデザインの若干のブラッシュアップを行うとともに,新たなロゴタイプ(文字)を作成し,これらを合わせた最終デザインが12月に確定した[➡巻頭写真].それ以来,これは本所の正式のロゴとして,ウェブページや印刷物などに広く活用されている.