東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

第2章 海洋研究所の活動の展開と柏キャンパスへの移転

2-3 国立大学法人化にともなう組織・運営体制の変化

1990年代末から,主として政府の行財政改革の一環として国立大学の在り方の見直しが開始され,様々な議論を経て2003年7月に「国立大学法人法」が成立した.これに基づき,2004年4月に文部科学省の内部組織だった国立大学全87校のそれぞれに法人格が付与された.学長については,大学が独自に選んだ人を文部科学大臣が任命するという,これまでと大きく違わない大学の自主性・自律性に配慮した仕組みが維持される一方,個々の国立大学法人は6年ごとに中期目標・中期計画を策定し,文部科学大臣によってこれらの制定・認可を受けるとともに,達成度の評価を受けることになった.また教職員は国家公務員ではなくなり,文部科学省共済組合への加入などは継続されるものの,労働基準法等に基づいて各国立大学法人が定める就業規則のもとに日々の仕事をすることとなった.すなわち,文部科学省の末端組織の一員であった個々の教職員は,大学全体としては学長,そして各部局においては部局長のもとで仕事をするという,一元的でわかりやすい組織体制となった.

法人格を得て自主性・自律性を高めることは,わが国の国立大学にとって19世紀末以来の課題でもあったが,一方,この法人化に向けての議論が主として行財政改革の視点から開始されたため,この法人化は複雑な性格を持つことになり,制度的には,独立行政法人制度の枠組みを利用しながらも,大学向けにやや独自性を持つものとなった.いずれにしても,明治時代に国立大学の制度ができて以来,制度上,最大の変化がもたらされた.

大学の自主性・自律性という点では,例えば,それ以前は研究科,研究所,専攻,部門などの組織の変更は,名称の変更も含めて,省令の改正が必要で,文部科学省に要求し,総務省,財務省などとの調整の末に認可されてはじめて実現できるものであったが,そのような縛りがなくなった.また,経費の使途についても,大学,それに附置する研究所や研究センターの裁量の余地が大きくなった.

他方,行財政改革としての側面を持つという点では,毎年政府から交付される運営費交付金に前年度比1%削減という効率化係数が継続的に適用され,次第に財政的な困難が増大した.これは大学の財務における困難にとどまらなかった.この削減圧は人件費にもかかるため,大学として,採用が可能な教職員数の枠を縮め続けざるを得なくなった.本学では,法人化の際に,それまでの定員をも考慮して各部局の採用可能数を設定し,これを毎年減じていくことにした.このため,教職員の数が着実に減っていくこととなった.しかも国家財政の悪化を背景に,新規の概算要求による組織拡充の可能性も急速に小さくなった.したがって,こうした継続的な削減圧のもとで,東京大学としても,また海洋研究所や気候システム研究センターとしても,社会の要請に十分応え得る規模の組織と活動を維持・発展させるために,様々な独自の工夫や努力を迫られることになった.

こうしたこと以外にも,法人化を機に海洋研究所には様々な変化がもたらされた.なかでも学術研究船白鳳丸と淡青丸および両船の船舶職員の海洋科学技術センター(現海洋研究開発機構)への移管はきわめて大きなできごとであった[➡2―4].本学や本所が望んだわけではない本件にどう対応するかについては,小池勲夫所長を中心に教授会等で真剣な議論が積み重ねられたが,国からの強い要請を最終的には受け入れざるを得なかった.この大きな研究施設である研究船2隻とそれを運用する職員60名以上の割譲は,本所にとって半身をもがれるようなものであり,その受け入れはまさに苦渋に満ちた決断であった.これこそ,国立大学法人化が行財政改革の一環でもあったことを示す事例のひとつであろう.しかも,この年度には,国立大学法人体制への切り換え期ということで,概算要求が受け入れられず,このような大きな変化に組織的対応を行うことは困難であった.そこで,学内措置として6年の時限付きの総長裁量ポスト(教授1,助教授2,助手1)の配置を受け,海洋環境研究センターを改組して先端海洋システム研究センターを設置して,新たな事態への対応の一助とすることになった[➡2―1―4].また,観測機器管理室を観測研究企画室に改組・拡充し,航海日数が増加した移管後の白鳳丸・淡青丸の全国共同利用の運営を引き続きしっかりと支えることに努めた[➡2―4].

法人化の影響はさらに広い範囲に及んだ.例えば,中野キャンパスにあった海洋研究所がひとつの事業所という扱いになったなどということも,われわれに新たな経験をもたらした.まず,所長はその事業所の責任者となり,そこでの安全衛生管理など数多くの事柄についての全責任を負うこととなった.このことに関連して多くの仕事が新たに教職員の肩にかかってくることになったため,研究所の管理運営体制にも工夫がなされた.ひとつには副所長の設置である.それまで所長の補佐を2名の所長補佐が行っていたが,副所長を正式に置くことができるようになったことを受け,これを置いてより多忙となった所長のサポート態勢を強化することになった.