東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001 東京大学 大気海洋研究所50年史 1992-2001

序章 発足からの50年間をふりかえって

0-2 海洋研究所50年間の小史

0-2-2 設立からの30年間(1962年4月~1992年3月)

設立からの30年間の歴史を簡潔に記す.詳細は『東京大学海洋研究所15年史』,『東京大学海洋研究所30年史』を参照されたい.

設  立

海洋研究所は,国立学校設置法の一部改正により,1962年4月に本学附置の研究所として誕生した.同年4月,海洋研究所設立準備委員会が発足し,研究所の英名をOcean Research Instituteとすることを決定した.同年度,2部門設置と250トンの研究船1隻建造の予算が認められた.設立当時,本所の敷地は定まっていなかった.

敷地・建物

敷地についていくつかの候補地があがったが,茅誠司総長の提案に基づき教育学部附属中学校・高等学校の敷地の一部1万m²の譲渡を受けることになった.1963年2月に本館A棟の新設に着工し,1967年5月に開所式を催した.

部  門

1962年から1975年にかけて部門(現在の分野に相当)が年を追って順次,整備されていった.1962年4月「海洋物理部門」と「海底堆積部門」,1963年4月「プランクトン部門」と「資源解析部門」,1964年4月「海洋無機化学部門」と「海洋生物生理部門」,1965年4月「海底物理部門」と「資源生物部門」,1966年4月「海洋気象部門」と「海洋微生物部門」,1967年6月「海洋生化学部門」,1968年4月「漁業測定部門」,1970年4月「海洋生物生態部門」,1972年5月「資源環境部門」,1975年4月「大洋底構造地質部門」が設置された.これで予定の15部門が設置された.さらに1990年6月,10年時限で「海洋分子生物学部門」が設置された(同部門の時限は2000年の改組によって撤廃された).この時点で16部門となった.

大槌臨海研究センター設置

臨海研究施設の設置は1962年の本所設立当初より計画されていたが,研究船建造を優先させたため,1969年から準備を始めた.建設地として全国にわたって調査を行った結果,岩手県大槌町の現在地を最適地の1つに選定した.1971年より本所の附属施設として設置申請を行い,1973年4月に国立学校設置法施行規則の一部改正により,大槌臨海研究センター(現国際沿岸海洋研究センター)が設置された.1977年6月に向坊隆総長を迎えて開所式を挙行した.1978年から共同利用を開始した.

研究船

初代淡青丸(1963年6月竣工):研究所設立にあたって建造を予定していた大型および小型の研究船のうち,250トン級の小型船は1962年度の予算措置を受けて,1962年12月に下関で起工し,1963年3月に進水し「淡青丸」と命名された.同年6月に竣工し本学に引き渡された.停繋港として豊海水産埠頭を借用した.同年7月に初研究航海を行った.本船は日本初の研究船であり,その設計は工学部高木淳教授を中心としてまとめられた.本船は主に日本近海における研究のために全国の多数・多分野の研究者の共同利用に供された.

初代白鳳丸(1967年3月竣工):研究所設立当時から大型研究船の建造は重要な課題であった.1963年6月の初代淡青丸の竣工後に大型研究船の建造計画策定にとりかかり,同年のうちに3,000トン級建造の概算要求を行ったところ,1965~1967年の3カ年にわたる予算措置が認められた.設計にあたり工学部山村昌教授の指導を受けた.本船は1966年11月に進水し,「白鳳丸」と命名された.1967年3月に竣工し本学に引き渡された.本船の母港は新たに用意された晴海埠頭H―4号桟橋であった.本所開所式の行われた1967年5月,竣工祝賀会をこの桟橋で同日に開催した.同年7月,初研究航海を北太平洋で行った.本船は遠洋,近海を含め比較的長期間の研究航海のためのもので,全国の多数・多分野の研究者の共同利用に供された.

第3船建造計画:1972年9月に中型第3船の建造の必要性を検討するための「新研究船懇談会」を所内に設置した.1975年4月には本学に学部長・研究所長などで構成される「海洋研中型研究船建造に関する懇談会」の設置が承認された.本所は1976年度に新研究船建造に関する概算要求を行ったが,残念ながら予算化に至らなかった.

第2代淡青丸(1982年10月竣工):初代淡青丸の老朽化と設備の陳腐化を受けて1979年2月に「新研究船推進委員会」を設置して,490トン級代船の構想を工学部竹鼻三雄教授の助力を得てまとめた.1980年5月に推進委員会を「代船建造準備委員会」に切り替え,概算要求の準備を始めた.1981年4月,460トン級の建造予算が発効した.1982年2月に下関で起工し,同年7月に進水式を行い,同年10月に竣工し本学に引き渡された.繋船場として東京港御台場13号地に新設の桟橋を使用した.

第2代白鳳丸(1989年5月竣工):1981年,船齢15年となった初代白鳳丸に代船建造の必要性が強調され,同年12月に「白鳳丸代船建造推進委員会」の設置が決定された.何回かの予備折衝を経て,本所は1986年に4,000トンをめどとする代船建造に関する概算要求を行ったところ,1987~1989年の3カ年にわたる予算措置が認められた.1988年5月に下関で起工し,同年10月に進水式を行い,1989年5月に竣工し本学に引き渡された.同年に世界一周航海が行われた.

共通施設

観測機器管理室(86m²):1967年度に観測機器検査室としてB棟に設置.1972年に観測機器管理室になり,共通観測機器の管理と研究船における観測指導を担当した.放射線同位元素実験室(212m²):1969年度にB棟に設置.放射性同位元素を用いた実験が年間400件程度行われた.電子計算機室(300m²):1964年度にB棟に設置.1964年にOKITAC―5090C,74年にFACOM230―45S,79年にFACOM M―160S,82年にFACOM M―180IIAD,86年にFACOM M―360AP,90年にIBM4381―T92が導入された.飼育室(360m²):1980年度にC棟に設置.飼育室,飼育実験室,低温実験室,機械室よりなっていた.培養室(120m²):1970年度にA棟に設置.1974年に新設されたB棟に移転.培養準備室,無菌接種室,恒温培養室,水槽培養室よりなっていた.資料室:1969年度にA棟とB棟の計4カ所に設置.資料の蓄積にともない,研究船で採取した資料等を保管する場所が不足するようになった.冷凍室:1965年度にA棟,74年度にB棟に設置(ともに80m²).利用部門が持ち回りで毎日,温度監視を行った.写真室(40m²):1963年度にA棟に設置.当初より,写真の撮影,現像,焼き付け等に利用されていたが,1979年にパナコピー,84年度にデザインスコープが導入された.金工室(86m²):1969年度にB棟に設置.所員が自ら使用でき,必要に応じて担当技官が工作する複合方式をとった.多くの部門が金属加工や機器製作の面で支援を受けた.ガラス工作室(86m²):1969年度にB棟に設置.実験研究に必要な各種ガラス装置,器具等の作成や研究者への技術指導を行った.遺伝子解析実験室(40m²):1988年度にB棟に設置.P2レベルの遺伝子組み換えDNA実験を行うために施設として安全キャビネット(クラスⅡ),オートクレープなどが導入された.測定器室:大型実験機器を共通に使うために部屋をA棟に8カ所設けた.

図書室

1964年度にA棟に設置され,1967年に閲覧室・書庫が完成した.1962年は洋書6冊,和書110冊で計116冊の蔵書数であったが,1992年度末の蔵書数は洋書22,857冊,和書8,578冊の計31,435冊,購入雑誌種類数は洋雑誌199種類,和雑誌44種類,計243種類となった.